fc2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 仏性 23

五祖大満弘忍禅師と四祖大医道信禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。

大医道信禅師の質問に対して大満弘忍禅師が「自分の姓は仏性というものであります」と言う返事をされた。この大満弘忍禅師の答えがどういう意味を持っているかというと、具体的な本質というものは仏性と呼ばれます、と言う意味に他ならないし、我々が持っている本質的なものは言葉ではなかなか説明できないから、仮に仏と言う名前を付けているに過ぎないのである。

この具体的な本質と言うものが、単に言葉では表現できない何かと言われた時だけにつかまえ得るもの、理解できるものと言うわけにはいかない。具体的な本質という表現を仮にされるものがあったとしてもそれが具体的な本質的なものという言葉以上のもの、もっと本源的なもっと現実的なものと理解された時に仏性というものが具体的に現れてくるのである。

この様に考えてくると具体的な本質と言うものは言葉では表現できない何かであり、それを昔から仏と呼んでいるけれども、そういう仏という名前さえ超越したところのものであり、そういうものを乗り越えて具体的な現実として現れてくるのであって、しかも、それについては常に何らかの名前を便宜的につけて呼ばれている。

その様な形で便宜的につけられた名前が周という名前であったのである。しかしながら、こういう仮の名前というものも父親から受け継いだものでもなければ仏教界の指導者から受けたものでもない。母親から受けたものでもないし、はたでその本人を名が寝ている人々と同じ名前ということでもない。各人は各人の名前があり、それに伴って独自の本質がある。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
「正法眼蔵」においては死後の世界はないと・・・それなのに「天上の神々」とか出てくるのですが、この「天上の神々」とは具体的にはどういう風な・・・。

先生
これはですね、仏教が生まれる以前に天上界があって神々がおられるという信仰があったわけです。それに対する仏教の態度というものは、そういうものはでたらめという形で子供っぽい否定はされなかったと言う問題があるわけです。つまり過去において民衆が信仰していた神々というものを、全部仏教の守護神として仏教の中に取り入れるという事が行われたわけです。

ですから四天王であるとか、帝釈天であるとか、ああいう神々は全部仏教が生まれる以前から古代インドにおいて信じられていた神々であるわけです。で、そういうものを仏教信仰の守護神としてそのまま残された。

ではその天上界の神々というものをどういう風に理解したらいいのかという事になるわけですが、そういう神々というものは人間の頭で考える事ができるという事実があるわけです。

ですから実在する、実在しないという問題よりも、人間がそういう問題を考えた場合には神という存在も生まれてくるのであって、そういうものをあえて否定する必要 はないというのが、そういう神々に対する仏教の基本的な立場だと見ていいと思います。
   
ですからその点では、そういうものは存在しないという風にむきになって否定する必要もないし、そうかといって、そういうものは実在するんだから、それさえ頼りにしていれば人間は誰でも幸福になれるという考え方をするほど、そういう神々を重要視していないというのが仏教の立場だとみていいと思います。

そういう点で、天上の神々というふうなものを考えたり、それから神々ではないけれども、人間の頭の中で例えば龍など様々な生物も想像できるわけです。


最後までお読みいただきありがとうございます。


仏教ランキング
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

フリーエリア

「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

最近の記事

最近のコメント

カテゴリ

FC2カウンタ-