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正法眼蔵 仏性 22

五祖大満弘忍禅師と四祖大医道信禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。

大医道信禅師が「お前の姓は一体何か」と言っておられるけれども、その「何」と言う言葉の意味は、言葉では表現する事のできない何かだというを言っているのであり、それは具体的な現実そのもの本質的なものを言っているのである。

その具体的な本質的なものを言い表そうとして、言葉では表現することのできない何かと言ったのである。これがここで問題にされているところの「お前の姓は何か」と言う事に関しての中身である。

言葉では表現できない何かというものは、具体的な本質的なものを問題にすればこそ、そういう表現が問題になってくるのであって、具体的な本質的なものというものを表現する能力が、言葉では表現できない何かと言う言葉の中に含まれている。

ここで五祖大満弘忍禅師と四祖大医道信禅師が取り上げたところの姓というものは、具体的な本質的なものであり言葉では表現する事のできない何かである。

このように我々に具わっている本質的なもの、言葉で表現できない何かというものは、安いよもぎのお茶を飲む場合にも、何のたれべえという名前が問題なのではなくて、自分自身が本質的にどういうものかと言うことが問題になる。また高価なお茶を飲む時にもやはりその本質とは何かという事が問題になるのである。

従って日常生活でお茶を飲んだりご飯を食べたりするときも、何のたれべえという名前が問題なのではなくて、人間としての本質が何かという事が問題になるのである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生がよく言われる昭和20年8月15日を境にしてという事ですけど、軍国主義のころに「戦争はやっぱりよくない」と言うと、「お前は非国民」という事でひょっとしたら命が危ないと。そういう時は仏道の立場はどうなんですか。

先生
その点ではね、現実の状況で許される範囲の最大限の努力をするという事ですよ。だからその点では、当時の世相に逆らって刑務所に入って過ごすというのも一つの生き方だったかもしれませんけれども、そういう動きをした人々の考え方が本当に正しかったかと言うと、

終戦後にそういう考え方の人々の時代が来たわけですが、そうすると、そういう考え方が正しければ、今日、日教組の問題、学校暴力の問題、ロッキ-ド事件とか、そういう事件は起きなかったはずなんですよ。

そうすると戦前に「俺の考え方は正しい」というふうに確信して、検挙されて刑務所に入った態度というものが本当に正しかったのかどうかという事を、我々は考えてみる必要があるんですよ。だから真実を勉強する事が大事で、どんな時代でも正しさというものは残るんですよ。正しさというものは極端な言論の中にはないんです。

だから、戦前の社会情勢の中で「俺たちこそは正義の士だ」ということで、官憲に反対して、逃げ回って、捕縛されて、刑務所に入った人の生き方だけが本当に正しいのかどうかという点については、やっぱり考えなきゃならんものを持っているんですよ。

あの時代にはそういう動きが貴重だったかもしれない。ただ戦後になってその考え方が正しい考え方として現に適用しているかと言うと、これは中々その通りだというふうに言いにくい面があるわけですよ。

今度はいま行われている考え方が少し間違いだから、少しは修正しなきゃならないという事情も現に出てきておるんだという風に見ていいと思います。だからそういう点では、真実というものには実に微妙なその時代その時代に応じての動き方があるんですよ。

なぜ仏道を信じることを私が勧めるかと言うと、自分の信仰にしたがって徹底的に生きても不幸にならないという事ですよ。人間というのは幸福を求めなくちゃならん、幸福を求める義務があるんですよ。そのためには自分の持っている信念が正しくなければならない。

正しい信念に従って生きていくならば、自分の行いを制約する必要がないんですよ。戦争以前においても、必ずしも軍国主義の尻馬に乗って「そうだ、そうだ」と、時流に便乗する必要はないわけです。それと同時に唯物論思想に凝り固まって無理に刑務所に入る必要もないわけですよ。

どんな時代でも、一人の個人として立派にどういう時代でも生き抜いていけるだけの真実を仏道は持っているんですよ。私が仏道を皆さんに勧めるのは、仏道を中心にして徹底的に生きていくならば決して不幸はないということを確信しているから、皆さんに仏道をお話していると、そういう事があると思います。( 1984年8月30日提唱)


最後までお読みいただきありがとうございます。

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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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