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正法眼蔵 古鏡 21

雪峰義存禅師と玄沙師備禅師の問答について道元禅師が注釈されます。

さらに「外国人も見えなくなるし中国人も見えなくなる」とは、鏡自身がその姿を隠してしまうと言う意味でもあろう。なお玄沙禅師の「すべての事物が一切バラバラに砕け落ちます」という言葉は、言葉で表現すればこのような言葉になるかもしれないがさらに問答を詰めていうならば、

「お前さんに対してそのバラバラになった事物を自分に戻してくれ」と言う主張もできるし、「自分は個々の具体的な事物そのものを見せてくれと質問したのであるが、お前さんはどうして輝かしい鏡を返してきたのか」と玄沙禅師に対して問いかける事も出来る。

※西嶋先生解説
ここのところも非常に難しいところでありますけれども、この「古境」の巻で言っておることは、鏡を題材にして主観とその主観に映るところの客観との相互関係を何回も繰り返しながら、様々の角度から眺めているということが言えるわけです。

その点では、非常に難しいと同時に、仏教哲学の基本には、こういう主観と客観との相互関係を詰めていくという問題が必ずある。仏教を勉強する以上、どうしてもと通らなければならない一つの関門だということも言えようかと思うわけであります。



              ―西嶋先生の話―
--つづき
なぜ我々は仏教を勉強するか?
年柄年中、夜疲れた時にちょっと飲むくらいならまだしも、朝から飲んでいると言う人もいる。そういう人を端から見れば、やめればいいのにと思う。しかし、本人にしてみたらどうしても止められないというのが実情。そういう事はいくらでもあるわけです。

我々の人生のほとんど全てが執着に取り付かれている。逃げ回っても、逃げ回っても逃げ切れないで終わってしまうと言う場合が多い。感覚的なものに囚われている事もやはり人生問題がややこしくなっていく原因。釈尊はこの人生に対する問題の解決方法を色々な面から説かれた。

二つの躓きの石は「迷い」と「執着」です。この「迷いと執着」を離れる事が出来るか出来ないかが、人生問題の解決が出来るか出来ないかの大切な分かれ目という事を言われた。そういう点では人生問題を解決するにはどうしたらいいかと言う事が釈尊ご自身の大きな悩みでもあった。若い時から沢山の勉強をされ努力をなされた結果、気づかれたのが坐禅。

釈尊はだから我々に対して坐禅を勧められたのです。

                              つづく--
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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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