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正法眼蔵 心不可得・後 8

道元禅師の注釈は続きます。

徳山禅師が何も言えなかった時に、どうして老婆は徳山禅師に何も言わなかったのであろう。「和尚、いま私に対して返事が出来なかったけれども、それではこの私に質問をしてみなさい。そうしたならば私が和尚のために返事をしてあげましょう」と言うべきであった。

この様な形で徳山禅師に対して本当の意味の言葉を口にする事が出来たならば、老婆は本物の力量であったとハッキリしたであろう。過去ににおける仏道の真実を体験された方々の真髄やあり方、光輝き、片鱗なりというものは、二人以上が同時に同じ境地に立つと言う努力があって始めて知られるところである。

徳山禅師と老婆とが同じ境地に立ったならば、徳山禅師も老婆も得ることができないと言う言葉についても、得ることができると言う言葉についても、餅についても何の苦労もなく掴まえる事が出来たであるう。そればかりでなく、それらを手放す事についても何の苦労もなかったであろう。



          ―西嶋先生にある人が質問した―
質問
先生のお話を承っておりますと、要するに現在の瞬間が仏教の根本思想になるわけですね。

先生
そう言う事になります。 人生で悩んでいても問題の解決にはならない。だから今何をしなきゃならんか、今何をしなきゃならんかと言う立場で動いていくのが人生です。ところが普通こうは考えないんです。

思想問題として捉えて誰の思想が正しいとか、こう考えた方がいいんではないかとかと言うような事で、いろんな思想問題を頭の中で考える習慣が我々にはあるけれども、釈尊がお説きになったのはそうじゃないんですよ。

人生は「現在の瞬間に何をするか」だけの問題だと。だから自分の与えられた立場で、一所懸命生きていくべきであって、それ以外に人生問題の解決はないと言う主張です。そうすると大抵の人はがっかりしちゃう訳です。

ぼんやりしていても幸せがくるような形でないとありがたくない。そこで宗教に対する期待もぼんやりしていても幸せがくるようにと言う期待になります。釈尊の教えはそう言う事を言わなかった。

人生というのは現在の瞬間しかないのであるから、与えられた現在の瞬間において何をやるべきかと言う問題について取り組んでいくべきだと言う教えです。これが本当の意味における人生の救いだと思います。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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