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正法眼蔵 心不可得・後 6

道元禅師の注釈は続きます。

また釈尊の説かれた教えを実際に修行するためには、釈尊の説かれた教えが本当にわかっている人に出会って、その教えを聞くのでなければ解るものではないと言う事を思い知った。

また単に文字の上だけで経典やその他の注釈書に関係し一所懸命に勉強している人が、本当の意味の仏道上での力を獲得する事はあり得ないという事も思い知った。

そしてとうとう崇信禅師に弟子入りして師匠と弟子との間の関係というものがはっきりと現実のものになる事により、まさに仏道の真実を得た人になった。現在では雲門宗・法眼宗という流派の指導者とされているばかりではなく人々の指導者とされている。

※西嶋先生解説
前の心不可得の巻と後の心不可得の巻とでは、徳山禅師に対する批評の仕方が違うという事が現実としてあるわけですが、後の「心不可得」の方は講義のための原稿という意味が仮にあったとすると、

原稿の方では徳山禅師は相当なものだと書いておられたんだが、実際の講義ではあるいは本音が出てしまったのかもしれない。で、あまり高い評価が講義の時は出てこなかったという事になるのかもしれない。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問 
前の「心不可得」は講義の筆跡であり、後の「心不可得」は講義の草稿ではないかと言う事は、前の「心不可得」の方が本物なんですか。

先生 
いや、両方本物だということ。今日の講義はこういう話をしてやろうと思って道元禅師が一所懸命準備されたのが心不可得(後)の方で、それをもとにして滔々とお話になっているうちに話が発展してしまった。

それでまた後の方の、この次にやるところの部分は講義をされないで終わったと、そういうことだと思います。だから講義の原稿とその現実の話とはかなり違うものとなったのです。

質問 
臨済の「渇』と徳山の「棒」って並べて言いますが、その徳山ですか。

先生 
そうです、そうです。臨済宗では徳山禅師といえば大、大和尚です。だからこの徳山禅師をあまり軽く扱うと臨斎系の人はカリカリするわけです。「正法眼蔵」六十巻本が編纂されているが、その中では徳山禅師のことを悪く言った部分は外されている。浮世の中の浮き沈みであったのかもしれませんね。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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