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正法眼蔵 心不可得・前 5

道元禅師の注釈は続きます。

数百巻の書籍の解釈をするところの最高権威者とも言われ、また数十年にわたって「金剛経」を講じてきた僧侶が身なりの粗末な老婆の質問を受けて、その質問に返事ができなかった事は非常に残念な事ではなかろうか。

正しい師匠に出会って、正しい師匠から教えを引き継いで、正しい釈尊の教えを聞いた事のある人と、まだ正しい教えを聞かず、まだ正しい師匠と出合った事のない人とでは、その内容が非常に異なっているところから、この様な事態が生まれたのである。

徳山禅師はこの時に初めて、「画にかいた餅は腹の足しにならないものだ」と言った。その後、この徳山禅師は竜澤の崇信禅師の法を継いだと言われている。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
熟語で「画餅」(がびょう)という言葉がございますね、その起源はここにあるんでございますか。

先生
ええ、こことも関係があります。それから「正法眼蔵」の中では画餅という巻がありますしね。それからもう一つ「画餅」という言葉が出てくるのは、智閑禅師のいわゆる小石が当たった音を聞いて悟りを開かれたという話のところで、

その前に師匠から「本から持ってきた言葉じゃいかん。自分自身の言葉で仏道の究極のところを言ってみろ」と言う質問を受けてどうしても答えが出来なかった。それで智閑禅師は勉強家でたくさんの本を持っていたわけだけれども、「画に描いた餅は飢えをふさぐに足りない」と言って

持っていた本を全部焼いちゃったという場面がある。そこにも「画餅」というのが出てくるわけですよね。だから、画に描いた餅というのは、ここの場所とそれから香厳智閑禅師とその二つのところに出てくる。

質問
出典はがそこにあるということ・・・。

先生
はい。 


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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