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正法眼蔵 法華転法華 41

「心悟れば法華を転ず」について道元禅師の注釈は続きます。

大鑑慧能禅師が「心迷えば法華に転ぜられ、心悟れば法華を転ず、究尽すること能く是の如くなれば」と言われた。ここで言われている事は心が迷っていても、心が悟ってもそう大した事はない。

心が迷っていれば傍がうまくやってくれるし、自分がしっかりした時には自分で積極的に動きが出来るけれども、結局は宇宙が動かしてくれると言う事でもある。迷っても悟ってもそう大した違いはない。

このような事態というものがわかってくると、宇宙全体が宇宙そのものを動かしていく。この様に宇宙というものに供養を捧げ、教敬し、尊び、褒め称えること、これこそ宇宙が宇宙そのものであって、それ以外の何ものでもない。これが仏教の立場である。

          「正法眼蔵法華転法華」
          1241年 夏安居の日、観音導利興聖宝林寺の開祖であり、
          宗の国に行って宇宙秩序を伝承してきた僧侶が書き記した。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
「いったい何を頼りに生きようか」と聞かれた場合に、まあ我々には「坐禅と言われて・・・それはそれでいいわけですけど。

先生
私はやっぱり坐禅を頼りするという事を言いますね。 ただもっと仏道の立場から四段階でいうならば、一番目は自分を頼りにしなさい、二番目が自然を頼りにしなさい、三番目は自分の行いを頼りにしなさい、四番目には坐禅を頼りにしなさいと、こういう四段階だと思います。 自分を頼りにする、自然を頼りにする、行いを頼りにする、坐禅を頼りにする。

質問
「自分を頼りにしなさい」と先生は突っ放しますが、自分を頼りに出来る自信が中々固まらないから、観音様とか、神様とか、仏様とか、偉い人とか、極端な事を言えば占って見てもらうという、自分自身が自信を持って頼りにならないから迷うんだから、そこのところは先生流に突っ放さないでもう少し親切丁寧に詳しく説明してください。(笑)

先生
まず自分を頼りにするしかないんですよ、打つ手が。その次に頼りになるのは自分の欲望ですよ。お腹が空いたらご飯を食べなきゃならない。眠くなったら寝なきゃならない。そういう事につき従っていくという事が仏道修行の一つです。

それと同時に社会生活では働かなきゃならない。まあ学生は学校の勉強をするという事で色々立場はありますけどね、とにかく何かをしなきゃならないという事、これも仏道修行の非常に大切な内容です。

質問
坐っていても何か色々ゴチャゴチャとしちゃって、自分ではどうもハッキリしない、それでも坐禅の効果は・・・。

先生
それはもう絶対の効果があります。それはやらなかった時に比較すればわかる。私なんかもそう。だから調子が悪かろうと悪くなかろうと兎に角機械的に坐るという事を私は勧めるわけです。人間、いろんな調子がありますよ。

そりゃもうどうにもこうにも調子の悪い時もあるけれども、それでもとにかく坐るという事、やるという事、あるいはやったと言う事には絶対の価値がある。そういうもんですよ。だから上手くいった、上手くいかないなんて事も本人がそう感じているだけの事で、決して価値のない坐禅と言う様なものはあり得ない。

※雑記
夫が帯状疱疹で医者に行き医者から帰ってきたときに私に話した。
 夫:帯状疱疹発病の原因はなんですか?
医者:ストレスです。
 夫:私にはストレスはありません。
医者:ストレスがなければ過労でしょう。
 夫:私はそれほど働き者ではありません。
医者:それなら加齢でしょう。
夫:それなら納得出来ます。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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