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正法眼蔵 法華転法華 40

「心悟れば法華を転ず」について道元禅師の注釈は続きます。

この我々が住んでいる宇宙は、無限の過去から無限の未来に至るまで常に変わらぬ素晴らしい世界である。昼であろうと、夜であろうと、常に変わらぬ素晴らしい働きを示し続けて生き生きとした活躍を遂げている。

我々自身においても、自分の体、自分の心を使って、ある場合には一所懸命努力する。ある場合にはすっかり悲観してしまって弱々しくなるというような様々の状態がある。しかし宇宙そのものは自分自身をも含めて、きわめて素晴らしい宇宙そのものに他ならない。

この様な立場から見ると、このあらゆる現実というものは、素晴らしい宝であり、光明であり、真実を求める場所であり、広大深淵であり、深く大きく永遠である。

心が迷っている時には、宇宙そのものが周囲から我々を動かして宇宙としての活動が進められていくし、自分自身がしっかりしてくると周囲の環境を動かしてやはり同じように宇宙の素晴らしい活動を続けさせていく。そういう状態のものであるから、宇宙によって動かされていく状態と、自分自身が宇宙を動かしていく状態と、二つのものが重なり合って一つになった状態なのである。



              ー西嶋先生の話ー

    --つづき

そうすると雑誌や新聞を読んで、なるほど赤く見えなきゃおかしいのかという事で、自分も赤いメガネを買ってきてかけてみると「なるほど世の中は赤い」と言って満足しているけれども、実体はそうではないという事である。そして時代が変わってくると、今度は「青いメガネの方が本当だ」という評論家が現れて雑誌に書いたり新聞に書いたりする。

それを読んだ人が「やっぱり青いメガネの方が本当だ」という事にもなりがちなのであって、世の中の動き思想の流れというのは実にそういった面が多い。そうするとどういう考え方が何十年たとうと何百年たとうと変わらない考え方かという事が大切になってくる。

もっとも世の中の考え方に従ってウロウロくっついて歩いていくにはちょうどいいじゃないか、損をしないですむという生き方もある。(笑)そういうのは今日流行している哲学だけれども、人によってはそれではちょっと寂しいと思う。

そういう人にとっては、どんな時代が来ようとも通用する考え方とは何かということを知りたい気持ちが起きる。そしてそういうときに仏道というものが必要になってくる。そういう気持ちを持たない人は仏道なんか勉強する必要がない。

※雑記
知人が若い頃より5センチ身長が縮んだと言う。私も3センチ縮んだ。年をとると言う事は外見が婆さんになりますね。そして忘れ物も多くすぐ言葉が出ない。順調に年をとっています。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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