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正法眼蔵 法華転法華 39

「心悟れば法華を転ず」について道元禅師の注釈は続きます。

中国に法華経が伝承され「法華経」として読まれて以来数百年の間、様々な注釈書を作る人々がいろいろな時代にたくさん出た。この「妙法蓮華経」によって、優れた徳をそなえた僧侶としての生き方を体得した人もある。

中国の第六祖である大鑑慧能禅師は法華転(宇宙が人間を動かしていく))という受け身の面と転法華を(宇宙を人間が動かしていく)と言う積極的な面と両方の働きがこの宇宙の中に存在しているということを説かれた。これが我々の住んでいる世界の意味というものを一番現実的に具体的に説かれた考え方である。

今この法華経を勉強する事によって大鑑慧能禅師の法華経に対する解釈の仕方を聞き、大鑑慧能禅師の解釈に出会うことが出来た。過去において沢山の真実を得られた方々がいるが、その中でも特に優れた方にお会いする事が出来たと言える。

この我々の住んでいる宇宙そのものが、過去において真実を得られた方々のつくられた世界、あるいはそういう方々が生きておられた世界と全く同じ世界だと考えざるを得ない。



              ー西嶋先生の話ー

仏道の立場というのは、常に我々が二つに分けて考えがちのものを一つに寄せ集めて現実の世界に触れるという事であり、それが仏教の基本的な考え方という事になる。ここでしきりに我々の住んでいる世界が素晴らしい、素晴らしいという風に説かれているけれども、

日常生活を送っている普通の立場からすると、「そんなに素晴らしいのかな」と首を傾けるという事が多々ある。もっと憂鬱で、もっと侭ならない、もっと嫌な世界だという考え方もある。ただ坐禅が終わった時の清々しさが宇宙そのものの素晴らしさの実体であって、調子が狂っていると中々宇宙の素晴らしさがわからん。

その事はどういう事かというと、赤いメガネを掛けていれば世の中全体が真っ赤に見えるし、青いメガネをかけておれば、世の中全体が真っ青に見えるという事でもある。大抵は色メガネをかけて「世の中は赤い赤い」と言ってみたり、青い色眼鏡をかけて「世の中は青い青い」と言ってみたりしているのが普通の生き方であって、色メガネをはずすとなんか寂しくなる。

本当に自分が見ていないような気になる。素通しのメガネではどうも外界を見ている事にはならんということで、赤いメガネがいい、青いメガネがいい、色んなメガネを買ってきて「赤く見えるのが本当だ」と言う様な事を新聞に堂々と書く。雑誌に論文として「赤く見えるのが本当だ」と言う様な事を書く。                
                        つづく--

※雑記
今日は定休日。同級生がやっている梨直売店に行き毎年梨を待っている四軒に送りました。明日届くそうなのでみずみずしい梨を食していただけると思います。今年は暑かったのでいつもの年より実が小さいと言ってました。自宅で食べる分も買ってきたので何日かは梨三昧。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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