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正法眼蔵 仏祖 4

仏祖の巻は続きます。

※西嶋先生解説
この天童如浄大和尚(天童如浄禅師)が道元禅師の師匠にあたるわけです。だからこの天童如浄大和尚の次に当然永平道元大和尚と言う名前が並ぶわけです。この様に道元禅師は、仏道と言うものは人から人へ伝えられるものだという考え方が非常に強かった。

宗教とか思想と言うものは、文字や本を読めばわかるというのが普通の考え方としてあるけれども、仏道と言うのは実際の体験の問題、生活の問題だから、単に本を読むだけでは本当の教えは伝わらない。

その点では、人と人があって人格から人格に教えが伝わるという事が必要なわけです。それから仏道の場合には、坐禅と言うものがあって、坐禅をやることによって人間が同じような体の状態になり、また心の状態になるということが、仏道を身につける非常に大切な方法だということも説かれているわけです。

           「正法眼蔵仏祖」
           1241年旧暦正月3日
           観音導利興聖宝林寺において書記し衆僧に説示した。 



          ―西嶋先生にある人が質問した―
  --つづき

ではその天上界の神々というものをどう理解したらいいのかという事になる訳ですが、そういう神々というものは人間の頭で考える事ができるという事実があるわけです。

ですから実在する、実在しないという問題よりも、人間がそういう問題を考えた場合には神という存在も生まれてくるのであって、そういうものをあえて否定する必要 はないというのが、そういう神々に対する仏教の基本的な立場だと見ていいと思います。
   
ですからその点では、そういうものは存在しないんだとむきになって否定する必要もないし、そうかといって、そういうものは実在するんだから、それさえ頼りにしていれば人間は誰でも幸福になれるという考え方をするほど、

そういう神々を重要視していないというのが仏教の立場だとみていいと思います。 ですからそういう点で、「天上の神々」というものを考えたり龍など様々な生物が想像できるわけです。

※雑記
夫が昨日購入したパソコンの設定を仕事の合間を見てやっている。夫はノ-ト、私はデスクトップ・パソコンは二人とも三台目ですがこれが最後かも・・・と思う年になりました。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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