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正法眼蔵 仏祖 2

「仏祖」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話は続きます。

そういう考え方から道元禅師はその仏教教団の代々の指導者を次から次へとここへ書き上げられるわけです。釈尊の前にも六人の真実を得られた方々を想定して、その六人の方々の次に釈尊を置いて、それから釈尊の弟子の摩訶迦葉尊者を置くという形で、

仏道と言うものが、代々そういう仏教教団の指導者を通して今日に伝えられてきたということを述べておられるわけです。この「仏祖」の巻は短い巻であるけれども、道元禅師の仏教に対する考え方がかなり強く出ている巻という事も言えようかと思う。



              ー西嶋先生の話ー
     --つづき

これはギリシャ時代の諺でありまして、したがってギリシャ時代には体の状態が正しい事と心の状態が正しい事は一致すると言う考え方があったと想像されるわけです。ところがロ-マ時代にキリスト教が西洋文明の中に入り込んでまいります。キリスト教の考え方では物と体とはまったく別のものと言う考え方が基礎にあります。

だから西洋文明の中における考え方も自然に心と物とは別と言う考え方になります。その考え方が基礎になって西洋文明が発達してきたと言う事がいえる訳です。だから西洋人にとっては、体の状態を正しくしておく事が心の状態を正しくすると言う事はなかなか考えられない。

坐禅をしていると智慧が出て来ると言う事を中々考える事が出来ない訳です。今日西洋流の考え方がかなり行き詰って来ている訳です。物と心とを別と考えると中々周囲にある社会的な問題を解決する事は出来ない。そこで西洋人たちも最近は、物と心とが一つという考え方に興味を持ち始めていると言う事が言えるわけです。

今日坐禅と言ものに欧米の人が比較的興味を持つとか、神父さんが坐禅をやるという事はそういう問題と関係あるわけです。今後西洋の思想の中にも物と心が一つと言う考え方が入り込んで、それが発達していきますと西洋流の文明もかなり様子が変わってくる。

そしてまた新しい段階に進んでいくのではないかと考えられるわけです。その場合に智慧というもの、正しい判断の基礎というものが今後の文明において非常に大切な役割をするのではないかと想像されます。そういう考え方の出発点になるのが「坐禅」と言う事も言えるかと思うわけです。

※雑記
70知人知人の息子や娘は4,50代になっても独身が多いようです、知人には当然孫はいません。親も子供の生き方を尊重して何も言わないそうです。自分たち夫婦のように結婚して家庭を持ち子供を育てなさい、と言う親は今は流行らないのかな・・・。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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