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正法眼蔵 山水経 1

「山水経の巻」の前に「袈裟功徳の巻」「伝衣の巻」があります。袈裟功徳の巻では袈裟の効用、掛け方、洗濯の方法等について述べられています。伝衣の巻は袈裟功徳のための草稿ではなかったかと考えられています。袈裟功徳の巻、伝衣の巻は特に寺院生活において必要な巻でありますから、管理人は在家なので省略します。

「山水経」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。
「山水経」の山水と言うのは山川と言う意味。山川で何を表そうとしているかというと、今日の言葉で言えば自然と言うものを表す。この山水経には自然がどういう意味を持っているか、と言う自然に対する見方が書いてある。

我々が休みに郊外に出かけたり旅に出たりして自然を見ていると、ふだん都会の中では感じられなかったような何か素晴らしいものを感じる。非常に美しいと感ずる。そういう自然が持っている美しさと言うものはいったい何かという問題がある。

おかしいじゃないか、人が何にも手を加えないで自然に出来ているものに対して何でそんなに美しいと感じ素晴らしいと感じるのかと言う事になると、自然の中に我々の本質と同じものが含まれているのではなかろうかと言う考え方が生まれて来る。そして仏教ではこの宇宙の全体が人間も自然も全部含めて、一つの何らかの統一体だという考え方がある。

だから人間にとって自然が美しいと感ずるのは少しも不思議のないこと。自然と我々とは全く同じ本質のものという事が基本にある。そういう事をこの「山水経」の巻では説いておる。                        つづく--



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
ある事を行動に移さないで思っている事は、悪いことじゃないんですか。

先生
その点ではキリスト教と仏教とちょっと違う。キリスト教ではものを考えただけで罪という事を言うけれども、仏教は実際にやらなければよろしいという考え方。だから頭の中で考える事と実際にやる事とは大いに違うという捉え方が仏道にはあります。

頭の中で考える事や考えまいと思ってもついつい考えちゃう色んな事を、良い事につけ悪い事につけ考えているうちは大したことない、実際にやるといけませんと言うところがありますね。

だから人のものを欲しいなと思っている分にはいいんだけれども、欲しいからと言ってちょっと手を出すといけませんと。だからそういう点では、仏教の教えと言うのは客観的ですよ、現実的ですよ。その点で人間は魂の問題だから頭の中で考えただけでもよろしくないという考え方とはちょっと違う。

その点が仏教とキリスト教とがちょっと違うところですよね。キリスト教では女性を見て妄想をたくましくすれば姦淫をしたのと同じだという事が聖書の中にあるんだけどね、仏教は頭で考えているうちはまあ心配ない。夫婦生活以外の場面で実践行動に移すと(笑)問題ありと言うのが仏教の教えですよ。

※雑記
旦那さんが亡くなり、広い敷地、大きな家に住んでいる知人が「家を売って小さい家に住みたい」と会う度に言う。
広い敷地に大きな家も、子供達が別の所に住むようになると色々大変みたいです。彼女の子供達は「こんな大きな家に住みたくない」と言うそうです。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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