正法眼蔵 有時 19
薬山惟厳禅師と馬祖道一禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。
善いとか悪いとかと言っても、それがすべて人生における時間として行われているに過ぎない。山が客観的にあっていつまでも動かないものではなくて、現在の自分の人生における場面としてあればこそ山もある。山も時間においてある。海も時間においてある。時間においてでなければ、山も海も存在するはずがない。
一人ひとりが人間として生きていればこそ海もあり山もある。いま現に山や海があると言う事が、時間と無関係だと考えるならばそれは正しくはない。時間がなくなったならば山も海もなくなる。時間がなくならなければ山も海も厳然としてある。
この様な時間と関連してのみ一切はあるのであるから、釈尊が六年間の修行を終わらせて真実をつかまれた時、西の空に明星が輝いていたという言い伝えがあるところから、その釈尊が真実をつかまれた瞬間に東の空に輝いていた星も、時間において現実のものとなっているのである。
釈尊がこの世に現れたのもやはり時間においてである。釈尊のものの見方と言うものがこの世に現れたのも、やはり時間においてであるし、釈尊と摩詞迦葉尊者との間で手に花を持ってお互いに暗黙のうちに真実というものを了解しあったという場面もやはり時間において行われた。
この世において様々な行いがあり、様々な善悪があるけれども、それらに共通して絶対のものといえば時間というものである。そういう時間があればこそこの世の一切がある。
―西嶋先生にある人が質問した―
--つづき
それからもう一つの質問の「お弟子さんがこの道元禅師の話を聞いて分かったか」と言う事ですが、ハッキリとお分かりになられた方は少なかったんじゃないかという事はハッキリ言えると思います。
たとえば道元禅師が亡くなってから百年位後に「正法眼蔵」に関する解説本が出ているわけですが、その方のお書きになったものでも果たして分かっておられたのか疑問なわけ。
だから道元禅師の説法に対して、その場でお分かりになった方が非常に少なかったと言う事は言えると思うわけです。 ただそれと同時に道元禅師が、説法はわからなくても意味があると言う事をここで書いておられる。
その事が一つと道元禅師がなぜ「正法眼蔵」をお書きになったかと言うと、何百年か経ったならば、日本の国でもこの本の読める人間が恐らく出て来るだろうという想定でお書きにな ったと言う事はあると思います。
我々は幸いにして西洋の学問を勉強するようになってから「正法眼蔵」が何を言っておられるかと言う事を理論的にもかなり押さえる事が出来るようになってきた。
そういう西洋思想のお陰でこの本が読める様になってきたから、今日以降は「正法眼蔵」 と言う本はそう難しい本ではなくなりつつあると言う事も同時に言えると思います。 だからその点で、先ほども出ましたけれども「正法眼蔵」は今日以降は、一つ一つの言葉をたどって丁寧に読んでいく必要があると言う事も同時に言えると思います。
一つ一つの言葉をたどっていかないで適当に上滑りに進んでしまうと 「正法眼蔵」に書いてない事を滔々として述べる事はいくらでも出来るんですよ。 そうすると大変ありがたい事をおっしゃっておる訳だけれども「正法眼蔵」とは別の事を滔々として述べておられるという風な危険もあるわけ。
で、そう言う事の危険を避けるためには、一つ一つの言葉を丁寧にやっていかなきゃならんと言う事情がますます増えてきたと言う事があると思います。
※雑記
朝一番で知人が梅をとりに見えた。「梅のへたを取るのも大変なのにありがたいですね」という。そして「こんな物しかありませんでしたが・・・」と調味料を預かった。晴れの日が木曜日まで続くようなので早速一番最初に漬けた梅を干し始めましたよ、夫が。そして父の日のプレゼントが届いた。いつも気に掛けてくれている子供夫婦に「ありがとう」です。
いつも訪問していただきありがとうございます。
ランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
善いとか悪いとかと言っても、それがすべて人生における時間として行われているに過ぎない。山が客観的にあっていつまでも動かないものではなくて、現在の自分の人生における場面としてあればこそ山もある。山も時間においてある。海も時間においてある。時間においてでなければ、山も海も存在するはずがない。
一人ひとりが人間として生きていればこそ海もあり山もある。いま現に山や海があると言う事が、時間と無関係だと考えるならばそれは正しくはない。時間がなくなったならば山も海もなくなる。時間がなくならなければ山も海も厳然としてある。
この様な時間と関連してのみ一切はあるのであるから、釈尊が六年間の修行を終わらせて真実をつかまれた時、西の空に明星が輝いていたという言い伝えがあるところから、その釈尊が真実をつかまれた瞬間に東の空に輝いていた星も、時間において現実のものとなっているのである。
釈尊がこの世に現れたのもやはり時間においてである。釈尊のものの見方と言うものがこの世に現れたのも、やはり時間においてであるし、釈尊と摩詞迦葉尊者との間で手に花を持ってお互いに暗黙のうちに真実というものを了解しあったという場面もやはり時間において行われた。
この世において様々な行いがあり、様々な善悪があるけれども、それらに共通して絶対のものといえば時間というものである。そういう時間があればこそこの世の一切がある。
―西嶋先生にある人が質問した―
--つづき
それからもう一つの質問の「お弟子さんがこの道元禅師の話を聞いて分かったか」と言う事ですが、ハッキリとお分かりになられた方は少なかったんじゃないかという事はハッキリ言えると思います。
たとえば道元禅師が亡くなってから百年位後に「正法眼蔵」に関する解説本が出ているわけですが、その方のお書きになったものでも果たして分かっておられたのか疑問なわけ。
だから道元禅師の説法に対して、その場でお分かりになった方が非常に少なかったと言う事は言えると思うわけです。 ただそれと同時に道元禅師が、説法はわからなくても意味があると言う事をここで書いておられる。
その事が一つと道元禅師がなぜ「正法眼蔵」をお書きになったかと言うと、何百年か経ったならば、日本の国でもこの本の読める人間が恐らく出て来るだろうという想定でお書きにな ったと言う事はあると思います。
我々は幸いにして西洋の学問を勉強するようになってから「正法眼蔵」が何を言っておられるかと言う事を理論的にもかなり押さえる事が出来るようになってきた。
そういう西洋思想のお陰でこの本が読める様になってきたから、今日以降は「正法眼蔵」 と言う本はそう難しい本ではなくなりつつあると言う事も同時に言えると思います。 だからその点で、先ほども出ましたけれども「正法眼蔵」は今日以降は、一つ一つの言葉をたどって丁寧に読んでいく必要があると言う事も同時に言えると思います。
一つ一つの言葉をたどっていかないで適当に上滑りに進んでしまうと 「正法眼蔵」に書いてない事を滔々として述べる事はいくらでも出来るんですよ。 そうすると大変ありがたい事をおっしゃっておる訳だけれども「正法眼蔵」とは別の事を滔々として述べておられるという風な危険もあるわけ。
で、そう言う事の危険を避けるためには、一つ一つの言葉を丁寧にやっていかなきゃならんと言う事情がますます増えてきたと言う事があると思います。
※雑記
朝一番で知人が梅をとりに見えた。「梅のへたを取るのも大変なのにありがたいですね」という。そして「こんな物しかありませんでしたが・・・」と調味料を預かった。晴れの日が木曜日まで続くようなので早速一番最初に漬けた梅を干し始めましたよ、夫が。そして父の日のプレゼントが届いた。いつも気に掛けてくれている子供夫婦に「ありがとう」です。
いつも訪問していただきありがとうございます。
ランキングに参加しています。応援クリックお願いします。

- 関連記事
-
- 正法眼蔵 有時 21
- 正法眼蔵 有時 19
- 正法眼蔵 有時 18