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正法眼蔵 有時 15

薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

神々や天使が出るとか出ないとかだけではなしに、我々の人生はある時には海を渡って航海している、ある時には陸地を旅行して歩くと言う様々の人生があるわけだけれども、自分自身が一所懸命やっていればこそ時間として現れて来るのである、人生として現れてくるのである。

世界は目に見える世界もあれば目に見えていない世界もある。いずれの場合にも、その中において時間という世界に生きている様々な生き物も様々な人々も、自分自身が人生を生き抜いていればこそ、それらのものが現実の時間における存在するのである。次々に瞬間瞬間に場面が変わっていくけれども、場面が変わっていくという形で実在するのである。

自分自身がやらないならば、たった一つの世界、たった一つのものといえども存在しない。我々が今ここで仏道を学ぶという努力があればこそこの世も存在する。経歴と言う言葉は瞬間、瞬間、いまの瞬間を生き抜くと言うことであって、風が東から吹いて西の方に去っていった、雨が東から降って西の方に去って行ったと言う移り変わるものとして経歴の内容を考えてはならない。



              ―西嶋先生の話―

「般若」とは正しい智慧。正しい智慧とは言葉を変えて言えば、調子のいいときに調子づかないと言う事。不幸のときに自暴自棄にならないと言う事。それが正しい知恵と言う事になります。智慧と言う言葉も単に西洋流の頭がいいとか悪いとかと言う事だけが智慧ではない。

頭がいいとか悪いとかと言う事も大切な事ではあるけれども、人生における判断が狂わないという事、これも非常に大切な事です。その人生における判断の狂わない基礎というのが正しい智慧という事、仏道でいう般若という事です。

般若のお面が角をはやして怖い顔をしているが、あのお面も仏道の思想から出てきたもので関係あるが、怖い顔をしたお面だ般若ではない。本当の般若の意味は正しい智慧と言う事です。正しい智慧というのは判断を誤らない基礎と言う事になろうかと思います。
          
※雑記
坐禅をする時は受戒のさい愚道和夫老師から頂戴した絡子を頭に乗せます。絡子には老師直筆で大哉解脱服 無相福田衣 披奉如来教 広度諸衆生(この偉大なるお袈裟は、人間のあらゆる執着心、煩悩を除く幸せの法衣である。これを肩にかけ、釈尊の教えを広め、生きとし生けるものを救おう)と書かれています。絡子も20年以上経つので糸がほぐれてきたのでそろそろ手当てをしようと思います。絡子の作り方は水野弥穂子先生のお弟子さんから直接習い10枚くらい作りました。

※道元禅師は正法眼蔵「伝衣」「袈裟功徳」の巻において、その意義と功徳について丁寧に示されていますが、自分は在家なのでブログでは「伝衣」「袈裟功徳」の巻は省略させて頂きます。
          

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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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