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正法眼蔵 有時 14

道元禅師に注釈に入る前に西嶋先生の話です。

この前々からやっておる「有時」の巻は「有」と言うのは存在ということ、我々の世界ということ。その現実の世界における時間が「有時」。だから「有時」とは現実の時間ということ、存在に関連した時間と言う意味です。道元禅師がなぜ「有時」という事を言われたかと言うと、我々は時間というものを過去から現在、未来と細い棒のようにず-っと繋がっていると思いがち。

常識的にはそういう捉え方をするわけ。ところが日常生活を真剣に生きていってみると時間は現在しかない。いま何をやるか、いま何をやるかという現在の瞬間、瞬間が本当の意味の時間。そういう本当の時間を道元禅師は「有時」という言葉で言われた。

薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。
日常生活において煩わしい事はいくらでもあるけれども、その日常生活のあらゆる瞬間瞬間がいずれも時間である。現に右に左に出現して我々を守護してくれると言われている神々も、人間が現在の瞬間を生き抜いているからこそ出現するのである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
人間は感情の動物なんていわれてまして、とかく興奮しがちなんですが・・・。 俗に喜怒哀楽を出さなければ人間も一人前だと言う評価もあります。反面、喜怒哀楽を表現した方が人間的だと言う考え方もあって、それは仏道の上から見るとどの様に評価されるんでしょうか。

先生
文化の中における価値観の違いがハッキリあると思います。 欧米の思想は感情的である事が人間的だから感情的に色々な動作 を現す事を家庭教育でも受けるようです。 そういった文化価値を持った民族と仏教思想の様に感情的になる事は正しい状態ではない、だから出来るだけ避けるべきだと言う考え方とは価値観が違っております。

私などはまあ長いか長くないか分からないけれども、六十年ぐらい生きてきた経験からすると、感情的になる事は実に弱さと繋がっている事があると思います。 感情的にならないと言う事は世間から見ると「あの人は冷たい」と言う見方をされるわけですが、

感情的になって興奮した態度をとることが人間の幸福に繋がるかと言うと、必ずしも感情的になった時にいい結果が出るかと言うとそうではない。 その点で欧米の文化と仏教的な哲学との間に明らかに価値観の違いがあるけれども、どちらが信頼するに足りるかという事は大いに検討してみなけれ ばならない問題だと思います。

※雑記
横浜の叔母から電話があった。今朝近くに住む娘さんに病院に連れて行ってもらったところ、私と妹が伺う予定日にMR検査やブロック注射をしたりで留守になるので今回はごめんなさいと・・・。叔父が昨年亡くなり妹とお悔やみに伺った時、88才の叔母は食べきれない程の手料理でもてなしてくれ、帰る際には自家製ジャムや佃煮を持たせてくれ元気でした。叔母の病気がよくなって「遊びに来ていいよ」と連絡が入ったら伺いたいと思っています。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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