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正法眼蔵 礼拝得髄 24

道元禅師の説示は続きます。

また釈尊の弟子の位と言うものは菩薩の場合であれ、声聞の場合であれ区別なく、第一が僧侶、第二が尼僧、第三が在家の男子、第四が在家の女子と決まっている。これは長い期間にわたって伝承されてきた。釈尊の弟子の第二の位にある尼僧は古代インドにおける転輪聖王よりも優れているし、古代インドにおいて信じられていた帝釈天よりも勝っている。

この尼僧の入ってはならない場所のあるはずがない。まして日本の国における国王や大臣は、釈尊の教団における第二の位にある尼僧とでは比べものにならない。しかも今日、日本の国において尼僧が入ってはいけないという修行の場所を観察して見ると、農夫や木こり等が何の制限もなしに入っている。

まして国王や大臣、諸役人等、そういう人々は誰が入らないという事があろう。農夫らと尼僧とを比較した場合、仏道修行における状況、地位をどの程度得たかということを考えてみるに、どちらが優れているかという事は非常にはっきりしている。

俗世間の考え方を基準にして論じてみても、仏教的な考え方を基準にして論じてみても、尼僧が入っていい場所であっても、農夫が押し入るということが出来ない場所もあるはずである。農夫が自由に入れるところに尼僧が入れないということは甚だしい誤りであって、日本のような小さい国において初めてこのようなことが行われている。

我々の住んでいる全世界(欲界・色界・無色界)における慈悲深い父とも言うべき釈尊の弟子の尼僧が日本と言う小国に来た場合には、行く手を遮られて入れないところがあるということは悲しむべきことである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
女性観について道元禅師は平等に考えているといって女性で偉い尼僧を重んじるとおっしゃっていますね。今の世の中で考えてみますと私にちょっと言わせていただきますと色んな関係で女性は偉くなれないんです。勉強や何かできないんです。それなのに同じに学問だのそういう事で男の人と競争しようという事は境遇を同じ様にしてくれれば出来ますよね。

だけど女には女の特別のそれこそ尊い子供を産んだり育てたり、それも大事な事だと・・・。だから私は女にはすごい価値があるんだと、自分が女だからそう思っていますけど、そういう事を考えないでスラ-ッと見ると、確かに世の中には男の方が地位の高い人も多いし、私も偉い女性たちをずいぶん知っていますけどたいてい家庭を持っていませんね。

たとえば大学の総長とか環太平洋会議の議長をやっている一派の人たち、そういう人たちの中には家庭も子供も持ってない人が多いです。そういう人たちは男の人と対等に仕事をし負けないと思うんです。

先生
いや、これは役割分担の違いだと思います。だから女性には女性の役割があるし男子には男性の役割があって、役割が違うから、同じ世界で競争してどっちが上どっちが下と言うんじゃなくて分担が違うということだと思うんです。で、分担の違うそれぞれの世界での価値は全く違わない同じだと。男女の平等はそういう事だと思います。

だから、先ほど言われた子供を産んで育てるなんて言うことは男にはできない。だからそういう点では、社会を形成する上において重要な仕事をしておる。男は外へ出て働くということで喧嘩をしたり、血みどろになって戦って一所懸命やるわけだから。それは役割の違いという事だと思いますよ。私はそう思っている。

質問
それだったら、それで比較しちゃいけませんね。

先生
そうそう。だからそういう点では役割が違うんだから、それぞれの分野で絶対の価値を持っているという見方で考えるべきじゃないかと私は思いますがね。

質問
要は仏道修行の同じ環境にあっての平等ということでしょうね。

先生
ええ。だから仏道修行の問題に限れば妙信尼の様に十七人の僧侶に「お前たち、だめだ」と言って、しかも十七人の僧侶が教えを請うて「はい、わかりました」と言っておとなしく国に帰っていったという境地にもなり得るということが例として出てるわけですよね。

質問
仏道に限ってということではないわけですね。

先生
ええ。仏道修行の点に限ればこの巻に述べられたような話になるわけですが、ただ世間一般の男女と言うものを考えれば役割の違いだと。

質問
だから僧堂に女の人を入れないでしょう。そういう習慣があるから偉い尼僧が少ししかでないんですよ。

先生
ただね、私なんかの見た範囲で坐禅は女性の僧侶の方がよくやっているんじゃないかな。沢木老師がよくいかれた新潟県の小出に尼僧院があるんですよね。そこの尼さんなんかは相当良く坐禅をやっていると思ったな。

だから仏道修行から言えば坐禅をやるかやらないかで価値が決まるんだから、大寺院の住職でも坐禅をやらなきや三文の値打ちもないという事をはっきり言っていいと思う。それと同時に小さな寺院に住んでおっても毎日坐禅をやっていれば最高の善知識ですよ。

そういう点では仏道の価値の基準と言うのは非常にはっきりしていると思う。世間はそう見ないですよね。大寺院の住職だと、金襴の真っ赤なお袈裟を着て出てくれば「ワァ-ッ」と言う様な事でお辞儀して出て来るけれども、(笑)その点では、誰が偉くて誰が偉くないのかは、これはなかなか難しい問題でね。

※雑記
ゴミ収集日は守らない、ゴミの分別をしないでゴミを出す。「自治会に入りませんか」と役員が誘っても入らない。従って回覧板は回さない。回覧板が回らないから一斉清掃など地域でやることをやらない。この困った初老の夫婦が最近近所に引っ越ししてきました。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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