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正法眼蔵 礼拝得髄 21

道元禅師の説示は続きます。

また日本の国に一つの滑稽な事がある。それは世間である場合には結界(一つの地域を定めて、そこは神聖な場所と定められた所)の境界内と言い、ある場合には大乗仏教の修行の道場と言って、尼僧や一般の女性をそこに入れないと言う習慣がある。

この様な誤った習慣が長年にわたって伝えられている結果それが誤りだということを判断することが出来ないでいる。昔の事をよく勉強した人もその誤った風習を改めようとしないし、真実の道に通達したと言われている様な人々でも風習がいい事か悪い事かさえ考えてみる事がない。

ある場合には権威のある人がやった事だと言い、あるいは過去における先輩方が残したやり方だと言って、少しもその事が良いか悪いかを論議しようとしないことは、滑稽なために笑いが止まらなくて腸が千切れてしまうほどのおかしな問題である。

権威者とはいったい誰の事を言うのであろうか。それは賢人をいうのか聖人を言うのか。それとも鬼神のようなものを言うのか、または菩薩の修行過程である者を言うのか、菩薩の最高の境地とそれに次ぐ境地の者を言うのか、権威のある者とは一向にわからない。

また彼らが言うように古い仕来たりを変えない事がよいとされるのであれば、我々の日常生活がソワソワと落ち着きなく明け暮れていくのをいつまでもそのままにしておく事が必要なのかどうか。まして偉大なる師匠である釈尊は最高にして正しい均衡のとれた真実を得られた方であり、解明しなければならない問題についてはすべて解明していたし

実際に実行しなければならない問題はすべて実行しておられた。また超越脱却しなければらない問題はいずれも超越脱却しておられた。現在の誰が釈尊と同じ様な境地に及ぶと言う事があろう。

※西嶋先生の話
鎌倉時代においても依然として例えば高野山のようなところは女性を入れなかった。それから大峰山というところも。当時の有名な寺院と言うものは大体女性を入れないというしきたりが非常に多かった。その風習がごく最近まで続いておったところもあるし、明治維新まではかなりの寺院がそういう風習を残しておった。そのことを道元禅師は今から七、八百年前に非常におかしな事として指摘しておられる。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生は講義の色々色々な問題は坐禅をする事によって問題がなくなるというか、惑わなくてもすむと言われましたが、たとえば私いま住宅でちょっとけつまずいているわけでございます。その時に坐禅をしても解決はつかない問題ではないかと思いますけれども…それはどうしたらいいのかと思って、坐禅で片付けばいいがなあと思うんですがダメなんです。

先生
それはまさにごもっともな事なんだけれども、住宅問題が現在あるということは現在そういう状態があるということで、それがいつまでも変わらんもんではないわけ。もう絶えず瞬間瞬間に変わっていくわけだから、今の状態が固定したままず-っと続くわけのものではない。

質問
それを変えようとするんです。

先生
だから、その変えようとする事についての努力が当然あるわけ。それと同時に「さあ困った、さあ困った」という事で朝から晩まで「困った、困った」で気をもむことが問題をこじらせる原因になって多くの場合災いを及ぼす。そうすると困った事態と言うものも静かにそのままどう困っているかという事と正面衝突するというか、真正面からぶつかるというか、はっきり見るというか・・・。

だからどういう事情でどう困っておるのか、解決策としてはどういうことがあるのか、と言う様な事を冷静な気持ちで見直すこと、これが一番大切です。我々の日常生活の問題は全部そうだと思います。

質問
するとそれは坐禅とは別ですね。

先生
いや、その場合にそういう態度をとらせる基本的な心の状態、基本的な体の状態がまず大切になってくる。事態と言うものは常に変化しているわけ。今の困った状態がずっと続くわけのものではない。そうすると現在どういう状態になっているのかということをよく勉強するとか

あるいはどういう解決方法があるかと言う様な事で色々と知識を得るとか、それでどうにも動きが取れなかったら、そのうちに何とかなるという事で時期を待つとか、そういうふうな解決の方法でしかないと思う。その場合一番大切なのは、気持ちが乱れないということ、慌てないということ、真正面から困難にぶつかるということ、

そういうことじゃないかと思うんです。私が坐禅をやっていれば一切のものが解決すると言ったのはそういう意味です。だから我々の生活に困ったことが出てこないということじゃなくて、困ったことが出てきた場合に、それにどう対処するかということについて一番いい態度が取れるということ。

※雑記
午前中は布団を干したり、冬物の寝具を片付けたり、洗車したりした。午後は一週間分の食料を買いに三カ所のス-パ-を回った。休みの日は殆どこんな感じ。夕食が終わってからはブログを更新したり、訪問してくれた人のブログを見に行ったり、とても楽しい時間です。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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