正法眼蔵 弁道話 40
弁道話の巻、十八問答は続きます。
質問―18について道元禅師の答は続きます。
釈尊の教えがこの我々の住む広大な世界に広まって以降もわずか2000年ちょっと経っているに過ぎない。しかも国土は様々であって必ずしも仁智(慈悲心や智慧に富む)国ばかりではない。また人々も必ずしも智慧の優れた聡明な人ばかりであろうか。
しかしながら釈尊の正しい教えは元来私たち人間の頭では考えも及ばない様な偉大な力を具えていて、時期が到来すると必ずその国土に広まるものであり、人は正しい信仰を持って修行を行うならば、頭がよかろうと、頭が悪かろうと、坐禅をするならば仏道というものはその場でわかる。
我が国において、そこにいる国民は情けの心が少なく頭もよくないと考え、そこにいる人間は知識も不十分だし理解力も不十分だと考え、釈尊の説かれた教えを理解する事が困難だと言うふうに考えてはならない。まして人には誰でも般若(正しい智慧)の素質が豊かに具わっていると言うのが基本的な仏教の考え方である。
我が国でいまだに仏教が栄えないのは、経典の研究はたくさん行われているけれども、坐禅をやって「仏道とは何か」という事を自分自身の体全体で体験する事がないからである。仏道というものを坐禅によって受け取り、それを日常生活に生かして使うことがまだ不十分だということに過ぎない。
上に述べた18問答のやり取りは、質問、答、質問、答と言う形で、何回も問答を繰り返したために中々複雑になってわかりにくかったと思う。本来、説き尽くす事の出来ない現実というものを「言葉」を使って何回となく空しい努力を試みた感がないでもない。
しかしながらこの日本では坐禅によって釈尊の教えを探求するという点に関しては、まだその基本思想が伝わってきておらず、これを知ろうと志すものはそれを教えてくれる人がなかったならば悲しく思うことであろう。このような理由から自分(道元)が多少とも外国に行って見聞きして来たところを集め仏道について
明るかった師匠の方々の本当の中心的な秘訣というものを書き記して、本当の仏道を勉強してみたいという念願を持っている人々に知らせたいと考える。これ以外の寺院生活をしていく上での規則や寺院における様々な取り決めについては、今書き記す時間の余裕がない。また寺院における規則や定めについては、軽率に急いで十分に時間を取らずに書き記すものではない。
―西嶋先生にある人が質問した―
質問
「直下に第二人なきことをしるべし」ここをもう一度ご説明願います。
先生
直下と言うのは今日の言葉でいえば、現在の瞬間ということですね。現在の瞬間において第二人がないということは、第二人と言うのは何かというと、我々の意識はよく二つに分かれて自意識と言うものがありがちなんです。それは自分と言うものが二つに分かれて、ものを考える自分と考えられる自分と二つに分かれている状態が、第二人がある状態と言うわけです。
ところが仏道ではそういう自分自身の意識を持った反省の状態と言うものが本当の人間の状態ではないという主張がある。そういうものを振り捨てて無我夢中で一所懸命にやっている状態が仏道の主張する人間のあり方。
だから反省的に「これでいいのかな」「これじゃいけないのかな」と、頭の中で色々とグズグズ考えておる状態と言うものが本当の人間の生き方ではないという主張。そういう点では、もう日常生活においては全く自分が統一された一つになって、滞りなくあらゆる瞬間をこなしていくというのが仏道生活。その状態に入っていくという事が坐禅をやる事のねらいです。
坐禅をやることによって何をねらっておるかというと、グズグズと反省する形の日常生活を振り捨てるということ。もっと行動に投入して、一所懸命、疑いなく、迷いなく、セッセと日常生活をやっていくという事が仏道修行、そういう状態に入った事を、第二人がないという。
ところが我々は大抵が頭の働きに優れておるから、「これでいいのかな」「あれでいいのかな」とグズグズ考える。「人はどう思っているかな」とか「将来どうも見込みがないんじゃないか」とか「あれは失敗だった」とかと言うふうな事で、年がら年中先を考えたり、後を考えたりして、グズグズものを考えて、行動の方がそれに伴っていかないというのが我々の日常生活のあり方です。
つづく--
※雑記
50代の老人施設に勤める看護師さんが今年最後の来店をされた。私言う「元旦から仕事で大変ですね」。彼女言う「看護学校出てからずっと病院や老人施設勤務なのでそういうものだと思っている」と。正月でも家族のもとに帰らず施設にいる人も多いようです。
彼女は高校生の頃から来店している。結婚し旦那さんの両親と一緒に暮らし子育て、家事育児等々お姑さんが「私に任せてね」と言ってくれたので、夜勤も安心してできたと。実は今日はお嫁さんとお姑さん一緒に来店されました。お客さんから沢山の事を学ばせていただいています。
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質問―18について道元禅師の答は続きます。
釈尊の教えがこの我々の住む広大な世界に広まって以降もわずか2000年ちょっと経っているに過ぎない。しかも国土は様々であって必ずしも仁智(慈悲心や智慧に富む)国ばかりではない。また人々も必ずしも智慧の優れた聡明な人ばかりであろうか。
しかしながら釈尊の正しい教えは元来私たち人間の頭では考えも及ばない様な偉大な力を具えていて、時期が到来すると必ずその国土に広まるものであり、人は正しい信仰を持って修行を行うならば、頭がよかろうと、頭が悪かろうと、坐禅をするならば仏道というものはその場でわかる。
我が国において、そこにいる国民は情けの心が少なく頭もよくないと考え、そこにいる人間は知識も不十分だし理解力も不十分だと考え、釈尊の説かれた教えを理解する事が困難だと言うふうに考えてはならない。まして人には誰でも般若(正しい智慧)の素質が豊かに具わっていると言うのが基本的な仏教の考え方である。
我が国でいまだに仏教が栄えないのは、経典の研究はたくさん行われているけれども、坐禅をやって「仏道とは何か」という事を自分自身の体全体で体験する事がないからである。仏道というものを坐禅によって受け取り、それを日常生活に生かして使うことがまだ不十分だということに過ぎない。
上に述べた18問答のやり取りは、質問、答、質問、答と言う形で、何回も問答を繰り返したために中々複雑になってわかりにくかったと思う。本来、説き尽くす事の出来ない現実というものを「言葉」を使って何回となく空しい努力を試みた感がないでもない。
しかしながらこの日本では坐禅によって釈尊の教えを探求するという点に関しては、まだその基本思想が伝わってきておらず、これを知ろうと志すものはそれを教えてくれる人がなかったならば悲しく思うことであろう。このような理由から自分(道元)が多少とも外国に行って見聞きして来たところを集め仏道について
明るかった師匠の方々の本当の中心的な秘訣というものを書き記して、本当の仏道を勉強してみたいという念願を持っている人々に知らせたいと考える。これ以外の寺院生活をしていく上での規則や寺院における様々な取り決めについては、今書き記す時間の余裕がない。また寺院における規則や定めについては、軽率に急いで十分に時間を取らずに書き記すものではない。
―西嶋先生にある人が質問した―
質問
「直下に第二人なきことをしるべし」ここをもう一度ご説明願います。
先生
直下と言うのは今日の言葉でいえば、現在の瞬間ということですね。現在の瞬間において第二人がないということは、第二人と言うのは何かというと、我々の意識はよく二つに分かれて自意識と言うものがありがちなんです。それは自分と言うものが二つに分かれて、ものを考える自分と考えられる自分と二つに分かれている状態が、第二人がある状態と言うわけです。
ところが仏道ではそういう自分自身の意識を持った反省の状態と言うものが本当の人間の状態ではないという主張がある。そういうものを振り捨てて無我夢中で一所懸命にやっている状態が仏道の主張する人間のあり方。
だから反省的に「これでいいのかな」「これじゃいけないのかな」と、頭の中で色々とグズグズ考えておる状態と言うものが本当の人間の生き方ではないという主張。そういう点では、もう日常生活においては全く自分が統一された一つになって、滞りなくあらゆる瞬間をこなしていくというのが仏道生活。その状態に入っていくという事が坐禅をやる事のねらいです。
坐禅をやることによって何をねらっておるかというと、グズグズと反省する形の日常生活を振り捨てるということ。もっと行動に投入して、一所懸命、疑いなく、迷いなく、セッセと日常生活をやっていくという事が仏道修行、そういう状態に入った事を、第二人がないという。
ところが我々は大抵が頭の働きに優れておるから、「これでいいのかな」「あれでいいのかな」とグズグズ考える。「人はどう思っているかな」とか「将来どうも見込みがないんじゃないか」とか「あれは失敗だった」とかと言うふうな事で、年がら年中先を考えたり、後を考えたりして、グズグズものを考えて、行動の方がそれに伴っていかないというのが我々の日常生活のあり方です。
つづく--
※雑記
50代の老人施設に勤める看護師さんが今年最後の来店をされた。私言う「元旦から仕事で大変ですね」。彼女言う「看護学校出てからずっと病院や老人施設勤務なのでそういうものだと思っている」と。正月でも家族のもとに帰らず施設にいる人も多いようです。
彼女は高校生の頃から来店している。結婚し旦那さんの両親と一緒に暮らし子育て、家事育児等々お姑さんが「私に任せてね」と言ってくれたので、夜勤も安心してできたと。実は今日はお嫁さんとお姑さん一緒に来店されました。お客さんから沢山の事を学ばせていただいています。
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