正法眼蔵 弁道話 39
弁道話の巻、十八問答は続きます。
質問―18
インドにおいても中国においても、人間が元来質朴であり素直である。これはいずれも文化の中心国であるためでありこれらの国の人々は、釈尊が説かれた宇宙の秩序を教えて指導すると非常に早く理解し仏道に入る。ところが我が国は昔から人に対する情けも乏しいし、ものを理解する智慧も少なくて仏教を理解する上での正しい素質というものが中々具わりにくい。
これは我が国が中国やインドに比べると、まだ文化の進んでいない野蛮な国であるためであって甚だ残念なことである。また日本の僧侶はインドや中国の一般社会で働いている人にも劣っており、社会全体が愚劣で智慧が発達しておらず大きくものを考える事が出来ない。
人に褒められたいとか金儲けに執着してやる行いというものが好きで、人に目立つような善を好む。こういう人々が仮に坐禅をしてみたところで、即座に釈尊の説かれた宇宙秩序を体験しそれを自分のものにすることがあろうか。
※西嶋先生解説
道元禅師の生きておられた鎌倉時代には、わが国よりもインドや中国の方が文明が進んでおったというのが実情。だから道元禅師も日本における仏道だけでは満足がいかないという事で中国に渡られたわけであります。そういう歴史的背景があって質問―18は理解できる。
道元禅師答える
なるほどお前の言う通りだ。わが国の人々は人に対する情けも物事を理解する智慧もまだ十分ではない。人が素直でなくて、いろいろと曲りくねったものの考え方をする。真っ直ぐな直接の釈尊の教えを示したとしても、かえって人々にとって災いとなってしまう事もあり得る。
そして名誉や利得と言うものにはすぐついて行って一所懸命やるけれども、惑いや執着というものから開放されると言う事が難しい。釈尊の説かれた宇宙の秩序を体験しその中に入っていくと言う事は、必ずしも世間一般の知恵というものが基準になって教えの中に入っていくわけではない。社会生活においてどうであろうという事とは関係なしに、仏道には仏道に対する入り方がある。
例えば釈尊の生きておられた時代に、年少の僧侶からも馬鹿にされていた年を取った愚暗の僧侶がいた。ある日若い僧侶がその年寄りの僧侶を馬鹿にするつもりで、暗い部屋に坐らせ毬でその僧侶の頭を一つ打って「最初の悟りはお前の頭に入った」二つ打って「よし、二番目が入った」、三つ打って「三番目が入った」、四つ打って「もう全部入った」とからかった。
ところがその年を取った愚暗の僧侶は毬で頭を四回打たれ、本当に釈尊の教えが自分に入ったと信じ込んだ。そのことが釈尊の教えを悟る機縁となって修行による成果を全て得てしまった。これは、世間的な知恵(頭がいいとか、悪いとか)が釈尊の教えを身につける事の原因にはならないと言う例である。
また別の例として、遊女が尼のところに遊びに行って「尼さんが着ているお袈裟を着てみたいので貸してください」と言って、冗談のつもりで袈裟をかけた。この事が原因になって、その後その遊女そのものが尼になって仏道修行をして悟りを開いたという話も伝えられている。これらの例は正しい信仰に助けられると迷いから離れていく方法というものがあるという例である。
また別の例として、正式の食事で僧侶に供養しようとした在家の女子が、愚暗の年を取った僧侶が一人で黙然と坐禅をしていたのを見た事によって仏道の何たるかを体得したと伝えられている。この例もその在家の女子に智慧があったわけではない。経典が読めて経典の意味が解かったという事でもない。
誰か偉い人から教えを受けて悟ったという事でもない。言葉による教えによって悟りを得たという事でもない。まさに正しい信仰というものに助けられて仏道に入ることが出来たのである。
道元禅師の答は次回に続きます。
※雑記
いつも空いている道路が渋滞してました。若い人の話ではクリスマスイブなのでケ-キ屋さんやスーパ-で買い物をする人が多く、店の駐車場に入るのに時間がかかり渋滞との事。
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質問―18
インドにおいても中国においても、人間が元来質朴であり素直である。これはいずれも文化の中心国であるためでありこれらの国の人々は、釈尊が説かれた宇宙の秩序を教えて指導すると非常に早く理解し仏道に入る。ところが我が国は昔から人に対する情けも乏しいし、ものを理解する智慧も少なくて仏教を理解する上での正しい素質というものが中々具わりにくい。
これは我が国が中国やインドに比べると、まだ文化の進んでいない野蛮な国であるためであって甚だ残念なことである。また日本の僧侶はインドや中国の一般社会で働いている人にも劣っており、社会全体が愚劣で智慧が発達しておらず大きくものを考える事が出来ない。
人に褒められたいとか金儲けに執着してやる行いというものが好きで、人に目立つような善を好む。こういう人々が仮に坐禅をしてみたところで、即座に釈尊の説かれた宇宙秩序を体験しそれを自分のものにすることがあろうか。
※西嶋先生解説
道元禅師の生きておられた鎌倉時代には、わが国よりもインドや中国の方が文明が進んでおったというのが実情。だから道元禅師も日本における仏道だけでは満足がいかないという事で中国に渡られたわけであります。そういう歴史的背景があって質問―18は理解できる。
道元禅師答える
なるほどお前の言う通りだ。わが国の人々は人に対する情けも物事を理解する智慧もまだ十分ではない。人が素直でなくて、いろいろと曲りくねったものの考え方をする。真っ直ぐな直接の釈尊の教えを示したとしても、かえって人々にとって災いとなってしまう事もあり得る。
そして名誉や利得と言うものにはすぐついて行って一所懸命やるけれども、惑いや執着というものから開放されると言う事が難しい。釈尊の説かれた宇宙の秩序を体験しその中に入っていくと言う事は、必ずしも世間一般の知恵というものが基準になって教えの中に入っていくわけではない。社会生活においてどうであろうという事とは関係なしに、仏道には仏道に対する入り方がある。
例えば釈尊の生きておられた時代に、年少の僧侶からも馬鹿にされていた年を取った愚暗の僧侶がいた。ある日若い僧侶がその年寄りの僧侶を馬鹿にするつもりで、暗い部屋に坐らせ毬でその僧侶の頭を一つ打って「最初の悟りはお前の頭に入った」二つ打って「よし、二番目が入った」、三つ打って「三番目が入った」、四つ打って「もう全部入った」とからかった。
ところがその年を取った愚暗の僧侶は毬で頭を四回打たれ、本当に釈尊の教えが自分に入ったと信じ込んだ。そのことが釈尊の教えを悟る機縁となって修行による成果を全て得てしまった。これは、世間的な知恵(頭がいいとか、悪いとか)が釈尊の教えを身につける事の原因にはならないと言う例である。
また別の例として、遊女が尼のところに遊びに行って「尼さんが着ているお袈裟を着てみたいので貸してください」と言って、冗談のつもりで袈裟をかけた。この事が原因になって、その後その遊女そのものが尼になって仏道修行をして悟りを開いたという話も伝えられている。これらの例は正しい信仰に助けられると迷いから離れていく方法というものがあるという例である。
また別の例として、正式の食事で僧侶に供養しようとした在家の女子が、愚暗の年を取った僧侶が一人で黙然と坐禅をしていたのを見た事によって仏道の何たるかを体得したと伝えられている。この例もその在家の女子に智慧があったわけではない。経典が読めて経典の意味が解かったという事でもない。
誰か偉い人から教えを受けて悟ったという事でもない。言葉による教えによって悟りを得たという事でもない。まさに正しい信仰というものに助けられて仏道に入ることが出来たのである。
道元禅師の答は次回に続きます。
※雑記
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