正法眼蔵 弁道話 6
道元禅師の話は続きます。
現在、大宋国においては臨済宗だけが天下に満ち満ちている。五つの宗派がそれぞれ別々になっているけれども釈尊は一人しかいない。いずれも釈尊の教えから流れ出たものである事に間違いない。大宋国においても後漢の時代から仏教関係の書籍がたくさん出て全国に行き渡ったけれども、五つのうちのどの宗派が優れているかという事はわからなかった。
達磨大師がインドから中国に来られて、何が何だか分からなくなっていた仏教の根源を断ち切って坐禅を教えた事によって実際の体験を通して仏道を勉強していくやり方が広まった。中国に本当の仏教が盛んになったと同じようにわが国でも同じくこの様である事を乞い願うべきである。
釈尊が説かれた宇宙の秩序に住まいそれを保持してきた代々の仏教教団の指導者並びに真実を体得された方々は、いずれも自受用三昧(自分自身を受け取り自分自身を使いこなす境地)を味わいながら、きちんと坐って坐禅に頼る事が仏道の出発点であり目的地であるとした。
インドにおいても中国においても釈尊の教えが何かという事が分かった人々は、いずれもこの坐禅をする風習に従って今日に至っている。なぜこの様な伝承が行われたかと言うと、師匠と弟子との間でこっそりとこの優れた坐禅と言う修行法が正しく伝えられて、仏道の本当の中身と言うものが受け取られ保持されて来たからに他ならない。
※西嶋先生解説
この様に道元禅師はご自分の生涯を述べられた上で、今度は仏道に関しての、釈尊以来どういう流れで今日に伝わったかという事、そしてその中心というものが達磨大師がインドから中国(大宋国)に坐禅を伝えられたという事で中国に伝わり、また自分自身が中国国にあった坐禅を日本に持って来たことによって日本に伝わった。そこで、そういう自負を持ちながら、過去の仏道というものがどういうものであったかという事を述べてこられた。
※雑記
ある時釈尊はナ-ランダ-なるパ-ヴァリカンバ林にいた。その時アシバンダカプッタなる部落の長が釈尊を訪ねて来て、釈尊を拝して質問した。
部落の長問う。
西の方から来たバラモンは瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火神に仕え、祈祷、合掌の力によって人を救う事が出来るそうですが本当でしょうか?
釈尊言う
部落の長よ。たとえばここに一人の人があって深い湖の中に大きな石を投じたとするがよい。その時大勢の人々が集まり来たって「大石よ浮かんで来い、浮かび上がって陸に上れ」と祈祷し、合掌して、湖の周りを回ったら汝はいかに思うか。その大きな石は大勢の人々の祈祷合掌の力によって陸に上がるであろうか。
部落の長答える。
いいえ、大きな石が浮かんできて、陸に上がるはずはありません。
釈尊言う
では部落の長よ、さらに汝はこのような場合にはいかに思うであろうか。ここにまた一人の人があって深き湖の水の中に油の壷を投じたとするがよい。そして壺は割れて油は水の面に浮いたとするがよい。その時、大勢の人々が集まり来て、「油よ沈め、油よ沈め、水の底に下れ」と言って、祈祷し、合掌して、湖の周りを回ったとするならば、その油は人々の合掌祈祷の力によって沈むであろうか。
部落の長答える。
いいえ、油が水の底に沈むはずはありません。
その様に釈尊が教えられた時、部落の長は釈尊に告して言った。
たとえば倒れたるを起こすがごとく、覆われたるを啓くがごとく、迷えるものに道を示すがごとく、暗闇の中に燈火をもたらすがごとく、釈尊は種々の方便を持って法を説き示された。願わくは、今日より終世変わることなき帰依の信者として、私を許し受けられんことを。
南伝 相応部経典、42,6 西地人より
いつも訪問していただきありがとうございます。
ランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
現在、大宋国においては臨済宗だけが天下に満ち満ちている。五つの宗派がそれぞれ別々になっているけれども釈尊は一人しかいない。いずれも釈尊の教えから流れ出たものである事に間違いない。大宋国においても後漢の時代から仏教関係の書籍がたくさん出て全国に行き渡ったけれども、五つのうちのどの宗派が優れているかという事はわからなかった。
達磨大師がインドから中国に来られて、何が何だか分からなくなっていた仏教の根源を断ち切って坐禅を教えた事によって実際の体験を通して仏道を勉強していくやり方が広まった。中国に本当の仏教が盛んになったと同じようにわが国でも同じくこの様である事を乞い願うべきである。
釈尊が説かれた宇宙の秩序に住まいそれを保持してきた代々の仏教教団の指導者並びに真実を体得された方々は、いずれも自受用三昧(自分自身を受け取り自分自身を使いこなす境地)を味わいながら、きちんと坐って坐禅に頼る事が仏道の出発点であり目的地であるとした。
インドにおいても中国においても釈尊の教えが何かという事が分かった人々は、いずれもこの坐禅をする風習に従って今日に至っている。なぜこの様な伝承が行われたかと言うと、師匠と弟子との間でこっそりとこの優れた坐禅と言う修行法が正しく伝えられて、仏道の本当の中身と言うものが受け取られ保持されて来たからに他ならない。
※西嶋先生解説
この様に道元禅師はご自分の生涯を述べられた上で、今度は仏道に関しての、釈尊以来どういう流れで今日に伝わったかという事、そしてその中心というものが達磨大師がインドから中国(大宋国)に坐禅を伝えられたという事で中国に伝わり、また自分自身が中国国にあった坐禅を日本に持って来たことによって日本に伝わった。そこで、そういう自負を持ちながら、過去の仏道というものがどういうものであったかという事を述べてこられた。
※雑記
ある時釈尊はナ-ランダ-なるパ-ヴァリカンバ林にいた。その時アシバンダカプッタなる部落の長が釈尊を訪ねて来て、釈尊を拝して質問した。
部落の長問う。
西の方から来たバラモンは瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火神に仕え、祈祷、合掌の力によって人を救う事が出来るそうですが本当でしょうか?
釈尊言う
部落の長よ。たとえばここに一人の人があって深い湖の中に大きな石を投じたとするがよい。その時大勢の人々が集まり来たって「大石よ浮かんで来い、浮かび上がって陸に上れ」と祈祷し、合掌して、湖の周りを回ったら汝はいかに思うか。その大きな石は大勢の人々の祈祷合掌の力によって陸に上がるであろうか。
部落の長答える。
いいえ、大きな石が浮かんできて、陸に上がるはずはありません。
釈尊言う
では部落の長よ、さらに汝はこのような場合にはいかに思うであろうか。ここにまた一人の人があって深き湖の水の中に油の壷を投じたとするがよい。そして壺は割れて油は水の面に浮いたとするがよい。その時、大勢の人々が集まり来て、「油よ沈め、油よ沈め、水の底に下れ」と言って、祈祷し、合掌して、湖の周りを回ったとするならば、その油は人々の合掌祈祷の力によって沈むであろうか。
部落の長答える。
いいえ、油が水の底に沈むはずはありません。
その様に釈尊が教えられた時、部落の長は釈尊に告して言った。
たとえば倒れたるを起こすがごとく、覆われたるを啓くがごとく、迷えるものに道を示すがごとく、暗闇の中に燈火をもたらすがごとく、釈尊は種々の方便を持って法を説き示された。願わくは、今日より終世変わることなき帰依の信者として、私を許し受けられんことを。
南伝 相応部経典、42,6 西地人より
いつも訪問していただきありがとうございます。
ランキングに参加しています。応援クリックお願いします。

- 関連記事
-
- 正法眼蔵 弁道話 7
- 正法眼蔵 弁道話 6
- 正法眼蔵 弁道話 5