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正法眼蔵 深信因果 5

第十九代目の仏教教団の指導者である鳩摩羅多尊者が言われた。

とりあえず「善い行いをすれば善い報いがある、悪い行いをすれば悪い報いがある」という問題に関連して考えてみると三種類の時間的な相違がある。この三種類の時間的な相違というのは一つの行いをしてからすぐその結果が出る場合、一つの行いをしてからしばらく経ってその結果が出る場合、一つの行いをしてから非常に長い時間がたってから結果が出る場合とがあり、原因・結果との間には三種類の時間的な差違いが考えられる。

ところが凡人や仏道を信じていない人々は、単純に情け深い人が早死にするとか乱暴者が長生きをするとか、悪いことをする人が幸福を得正しいことをする人が不幸に陥ると言う様な事例を見て、この世の中は原因・結果の関係はなく、悪いことをしたら罪を受ける、善いことをしたら幸福が得られるという原則もないと考える。

しかしこれは、やった行いとその結果との間に三種類の時間的なずれがあるということを知らないところから生まれてくる軽率な判断である。特に原因・結果の関係について善い行いと善い結果、悪い行いと悪い結果との間には物があれば影があり、音があれば響きがあるという形で、結果が必ず付随してほんの僅かの違いもなく、百劫、千劫、万劫というふうに非常に長い期間が経過しても、その原因・結果の相互関係というものは磨減してなくなるということはない。

鳩摩羅多尊者の言葉について道元禅師が注釈されます。
仏道における先輩である鳩摩羅多尊者が、原因・結果の関係を否定されるということがなかったと言う事をはっきりとこの言葉から読み取ることが出来る。

ところが現にいま仏道を勉強してしている人々が、仏教界の祖師方の慈悲に溢れた教えの意味をはっきりと理解していないということは、優れた諸先輩方の教えを学ぶことがまだが十分でないところから生まれている結果である。しかも祖師方に学ぶことがまだ十分でないにもかかわらず、むやみに優れた僧侶であると自分自身で呼ぶならば、仏道を勉強している人々にとっての敵である。

したがって、お前方やお前方とだいたい時代を同じくして仏道を学んでいる人々が、原因・結果の関係に関して、それを否定する様な傾向の意見を持って後輩や初心者に釈尊の教えを説いてはならない。因果の関係を否定する教えは間違った説であり、釈尊が説かれた教えとは全く別の教えである。ところがお前方は、釈尊の教えを十分に勉強していないところから、この様な誤った見方に落ち込んでいるのである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
宗徒調査をやった結果、坐禅をやろうとする人が非常に少ないということで、先生のお話とぴったり一致しているわけですね。結局現代の僧侶自身が坐禅をやらないから、したがってそれを指導する人もいないし、それで信者の方もそういうことになるわけで、仏教の堕落というものをまざまざと見せつけられたような感じがしたんですが・・・

先生
まあ、あの数字は当然予想されるところでしてね。それであの数字から宗門がどういうふうなところに行かれるかと言いますと、おそらく坐禅を勧めることは今日の時代に合わない、むしろ宗門の目標は祖先崇拝にある、したがって仏壇を各家庭が持って、お彼岸には必ずお経をあげるというふうな方向に指導すべきだという考え方になるんじゃないかと思います。

ですからそうすると坐禅との関係というのはどういう事になるんだということになるわけですけども、私は坐禅をやることが仏道修行の全てだという見方ですから、そのことを死ぬまで伝えて、そして同じ考え方を持った方々がそれぞれ坐禅を実行する、あるいは坐禅のやりやすいような施設を作って、そこへ沢山の人が集まって坐禅をするということが望ましいんであって、そういう点では、仏道が盛んになるかならないかは、坐禅が盛んになるかならないかだけの問題だと思います。

ですからああいう形で祖先崇拝が非常に重要視されるということは、それもまた一つの見方ですし一つの流れですから、それがいいとか悪いとかということよりも、我々は坐禅を一所懸命やって人に勧めるということをやるだけだと、そう感じております。

※私の独り言。
上記の質問はまだインターネットが普及していない昭和59年(1984年)当時の講義においての質問です。それから35年以上が経過し、インタ-ネットが普及した今の時代はインタ-ネットを活用して仏道を普及させるのがいいのではないかと先生は言われました。カテゴリ「インタ-ネットと坐禅」に詳しく書いてあります。よろしかったら読んでみてください。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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