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正法眼蔵 出世功徳 17

釈尊の言葉について道元禅師が注釈されます。

釈尊は出家の功徳がどのようなものであるか、どの程度の大きいものであるかという事をはっきりと承知されておられたところから、七宝の高い塔を建てる事と出家する事との価値の比較をこの様にされた。この釈尊の言葉を聞いて福蔵と呼ばれる人は百二十歳の年寄であったけれども出家し受戒を受けて年若の人よりも低い席に坐って仏道修行をし、その結果阿羅漢(仏道修行の最終の偉大な境地)に到達した。

銘記せよ。
人間の体というものは四種類の物質的な要素あるいは五種類の物質並びに精神的な要素というものが、直接・間接の原因に従って結合して、たまたま人間としての体が仮に出来上がっている。従って八種類の苦しみというものが常に我々の生活には伴っている。しかも我々の生活というものは瞬間瞬間に生れては消え、生まれては消えしていて、それがほんの一瞬と言えども停止することがない。

まして仏教の考え方によるならば、指を一回はじく間に六十五回の瞬間というものが生まれては消え生まれては消えするのであるけれども、人間は自分がその事実を十分には承知していないところからその様な事実を知ることが出来ない。

つまり二十四時間の間に六十四億九万九百八十の瞬間があって、その一々の瞬間においてこの世を構成している精神的、物質的な要素が生まれては消え生まれては消えしているのであるけれども、その事が一般にはわからない。哀れな事ではないか。自分自身が生まれては消え生まれては消えしているにもかかわらず自分自身がそれに気が付かないということは。



              ―西嶋先生の話―

仏教の教え―1・四諦 2・因果の理法 3・刹那生滅の論理 4・坐禅
1番目の四諦は何回もやりましたので2・因果の理法をどう考えたらいいかという事を簡単に申し上げます。釈尊が「因果の理法」この世の中はすべて原因・結果の関係で出来ていると説かれた。

だから、原因・結果の関係を究明した科学の教えと仏教の教えとは矛盾しない。何らかの思想で科学の知識と矛盾するような教えは捨てなければならない、従ってはならない。そういう形で釈尊が因果の理法というものを説かれた。ただこの因果の理法をそのまま受け取ると非常に困った問題が出来る。

それは何かと言うと現在が過去によって縛られるという事になると、過去の事実が一切を決め因果関係を信ずる限り、過去の出来事が現在を決め、現在が未来を決めるという事になると、昔から決まってしまった路線を人間は歩かなければならない。それは人間に自由がないという事を意味するわけです。

人間に自由がなければ善いことをやりたいと思ってもそれが出来ない、悪いことをやりたくないと思ってもやってしまう。そういう状況が「因果の理法」を信じた場合には必ず出てくる。そこで釈尊がその矛盾をどう解決されたかと言うと、三番目の原則として3・刹那生滅の道理というものを言われた。

「刹那生滅の道理」というのは行いに関するところから生まれて来る。頭で問題を考えれば過去・現在・未来という時間は繋がっているという考え方が出来るわけでありますが、行いを中心にして問題を考えると人間の生きる時間というものは現在の瞬間しかない。

過去に何か間違いを犯したとしても、「あんなことをしなければよかった」と言っていくら悔やんでも時計が逆戻りして昔に戻って間違いをやり直すという事は絶対できない。そうすると人間は過去の時間には絶対に生きられないという事実がある。それからまた、将来はこういう事をしましょう、ああいう事をしましょうという夢を持っていても、それの実行できる時間というのは現在の時間にならなければ実行できない。

だから人間は未来にも生きられない。人間が生きるたった唯一の時間というものは現在の瞬間でしかない。釈尊が説かれたのは我々はそういう現在の瞬間に生きている。だから現在の瞬間というものはちょうど剃刀の刃の上にのった真珠の様に、ほんのわずかな手加減で右に落ちたり、左に落ちたりすることが出来るから現在の瞬間においては人間は自由だ。

過去に縛られているけれども、いま何をしようかという時に、それを自分自身で決めることが出来る。そういう形で「刹那生滅の道理」というのが三番目の原則として釈尊によって説かれた。


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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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