fc2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 安居 4

黄龍悟新禅師が言われた。

自分は仏道修行のため諸国を旅して歩いた歳月が30余年に及んだ。その間、寺院における夏季の滞在期間は常に90日とし夏安居を忠実に実行してきた。1日と言えども増やすことを許さなかったし、1日と言えども減少させることをしなかった。


黄龍悟新禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。
この黄龍悟新禅師の言葉から考えられることは、30余年間諸国を旅して仏道修行を重ねた結果得られたところのものの見方がどういう事であるかと言うならば、夏安居は90日であってそれを1日でも増やすことはできないし、1日でも減らすことはできないという見方が得られたという事に尽きる。

たとえ夏安居の日数を一日でも延ばそうとすると、その90日間の1日1日が、その1日増えた分は自分のものだという事で、90日間のそれぞれの日が増えた1日を争って競争することであろう。そしてまた90日間の間の1日でも減らそうとすると、自分は減らされたくないという事で、90日間のそれぞれの日が競争の形で争う事であろう。

したがって、90日というものは絶対のものであって、それを超越してしまうという事は許されないところである。仮に90日を超越するという事があるとするならば、それは90日の期間を動かすことなしに、90日は90日としてしっかり守りながら、しかもその現実の日常生活の中で夏安居を一所懸命やっていくことに尽きるであろう。

この90日を夏安居の一区切りとすることは、仏道修行者が守っているところのやり方であるけれども、仏道の真実を得られた方々が個人的に初めてつくりだしたという形のものではなくて、仏道修行に関して昔から伝統的に行われてきたところであるから、仏道において真実を得られた祖師方が、正当な後継者から正当な後継者へと正しく受け継いで今日まで到来したところである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
この間三木哲学を読みましたら「習慣」という項目で、知識とか理性とか感情では中々自分の習慣は直せないというんですね。それで習慣を直すのはやっぱり強力な習慣を持ってする他はないという事があります。

やっぱり坐禅の習慣をつけることがその人の今までの習慣を変えていくんじゃないかという風に感じられたんですが。そうなるとやはり,習慣づけてしまうという事が、その人の人生も変えていくんじゃないかという風な感じがいたします。

先生
まさにその通りだと思います。正直言いまして毎日の坐禅が習慣づかない限り仏道の救いはないんですよ。これはもうはっきり言えることです。だから大変なようだけれども、仏道で救われたいと思ったら毎日坐禅するしかないわけです。それ以外に仏道の救いはないと断言して間違いないです。

坐禅は案外やりにくいことではありますけれども、悟りを開くなどという事よりははるかに楽なことです。悟りを開くなんてことは、不可能なことを可能だと考えて何十年も頑張るだけのことで、そんな事よりは、毎日の坐禅がやれるかやれないかの方が仏道修行のためには、決定的な意味を持っていると、そういう事が言えると思います。

質問
東大の平井富雄先生の本を読んだことがあるんですけど、その中に、普通の人は崩れるとそのまま崩れっぱなしになって戻ってくるまで時間がかかるけども、坐禅をやっている人は戻りもすごく早いと言う様な事が書いてありましたね。

先生
まあそういう点では、近代科学の理論と仏教理論とが大体同じところに進みつつあるという事は言えると思います。


ご訪問ありがとうございます。

ランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

フリーエリア

「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

最近の記事

リンク

最近のコメント

カテゴリ

アクセスカウンタ-