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正法眼蔵 三十七品菩提分法 31

三十七種類の修行法(四念住、四正断、四神足、五根、五力、七等覚支、八正道)

※五力(1・信力 2・精進力 3・念力 4・定力 5・慧力)

五力の「3・念力」について道元禅師が注釈されます。
念力(気持ちが集中している時の力)というのは、抽象的に言葉を使って問題を頭の中で考えている状態ではなしに、石鞏慧蔵禅師と西堂智蔵禅師とが虚空の問題に関連してやり取りをされた際に、石鞏慧蔵禅師が相手の鼻の孔を引っ張ってそれによって虚空を具体的に現実的に説明しようとされた態度を言うのであり、それに対して「ずいぶん乱暴ですね」と言う言葉で応じた西堂智蔵禅師の態度を言うのである。

したがって、具体的な鼻の孔が眼の前にあると、その具体的な鼻が現実の虚空を説明するために人に引っ張られざるを得ないという具体的な思考を指すのである。別の言葉でいうならば、あるときは価値の高いものを放り出してまたそれを拾い、あるときは価値のないものを放り出してまたそれを拾うという風な日常生活におけるごくあたり前な動作を言うのである。

その様にごく当たり前の日常生活の動作が「念力」という言葉で表されている内容であるから、具体的な行いをしないで、行動しようか行動しまいかとまごまごしている状態の場合にはたちまち師匠から三十回も棒で叩かれるのである。この様な「念力」という言葉が示す内容は、我々の日常生活の動作を意味するのであって、天下の全ての人々が毎日毎日使ったとしても磨滅してなくなる様なものではない。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
たとえばアメリカの人たちは、キリスト教のためかもしれませんが、自分より周りの人のために尽くすという事に重きを置いてやっておりますが・・・・という前の人の質問に関連して、東大の中根千江先生は人間関係について、日本人は昔から縦社会でキリスト教の諸国では横社会だと言われています。

先生
縦社会とか横社会とかという考え方からいきますと、縦社会と言ってみても日本国民が狭い島の中でたくさんの人口が一緒に生きておったから、お互いに仲良くしないと社会生活が成り立たなかったわけです。そうすると、そういう社会を破壊して、独立独歩で頑張ろうとすると否応なしに太平洋を泳いで渡らなければならなかったと、こういう事です。

そういう環境に置かれておると、自然に縦社会の原則が出来たという事で日本の国土から生まれた特殊な事情ですよ。宗教の立場というのは、国境の中だけで論議をしていたのでは宗教は始まらないという事、これはあると思います。一国の国内だけで通用する様な教えというのは宗教的な意味を持ち得ないのです。だから宗教というものは常に国際的なものです。

何処の国へ持って行っても通用する様な教えが宗教と呼ばれるものであって、どんな時代でも通用する教えが初めて宗教と呼ばれる価値を持つんです。だからそういう点では、宗教というものは国際的なものであると同時に、永遠のものだと言えると思います。

だからあの国にはこういう事情がある、この国にはこういう事情があるという「現段階でこの地域では」という、特殊事情はいくらでもありますけれども、そういうものを乗り越えるところに宗教の意味があると、そういう事が言えると思います。


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ご訪問ありがとうございます。 「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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