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正法眼蔵 三十七品菩提分法 29

三十七種類の修行法(四念住、四正断、四神足、五根、五力、七等覚支、八正道)の中の五力という修行法に入ります。

五力
1・信力(信仰を基礎にした力)
2・精進力(努力を基礎にした力)
3・念力(気持ちが集中している時の力)
4・定力(体と心が均衡状態にあるところから生まれてくる力)
5・慧力(体が均衡し心が均衡している時に生れてくるところの直観的な判断力による力)

五力の1「信力」について道元禅師が注釈されます。
信力(信仰を基礎にした力)というは、自分自身が仏道の信仰に夢中になってしまって仏道の信仰から逃げようという態度がなくなった状態をいうのである。その様に夢中になって仏道修行をしている状態というものは、別の言葉でいうならば人から呼ばれたならば、そちらの方に必ず頭を向けて「はい」と返事をするようなごく普通の態度である。

さらに別の言葉でいうならば、自分が生まれてから年を取るまでの間、自分自身を振り返ってみるならば別の人間がいるわけではない。

さらに別の言葉でいうならば、七回転び、八回転ぶという事が我々の日常生活であるけれども、七回失敗しても決して苦にしない、それをそのままに捨て置いてさらに生きていくという状態でもあるし、八回転んだとしても、またあきらめずに仏道を頼りに起き上がるという状態でもある。

この様に信仰を基礎にした力というものは様々に表現できるけれども、それを結論的に言うならば、仏道を信ずるという状態が水晶の玉の様に透き通っていて少しの曇りもないという状態を意味するのである。

さらに別の言葉でいうならば、釈尊の説かれた教えを伝承する、あるいは釈尊以来代々の祖師方によって伝承されてきたところのお袈裟を伝承するという仏道修行そのものが「信仰」と呼ばれるものの実体であり、真実を得た人の実体というものを伝承する、あるいは仏道修行における祖師方と同じ状態を伝承するという事が「信力」と呼ばれる修行法の内容である。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
信力について、一番初めに「自分自身に夢中になって逃げて行き場がない」と言われましたが、自分に当てはめて考えて、私は心理学を勉強している者ですが、「正法眼蔵」で先生に教えていただいたことが私の日常の中ではみんな仏道の方に集中していくんです。

さらに「人から呼ばれた場合、素直にそっちの方へ頭を向ける」という、ごく普通の日常的な動作の事であると言われましたけれども、これは結局、私の場合、学問的なものと密接に結び付けていく・・・

先生
ここでまず最初に、自分自身で望もうと望むまいと仏道を信じずにはいられないという状態をまず言っておる訳です。どうにも否定しようがない、仏道を信じ、坐禅を信じる以外にどうも手がないという事を言っておられるわけです。

そうすると、非常に主観的に凝り固まっていて人のいう事も聞かないような態度かというとそうではなくて、人から呼ばれればすぐ素直にそっちの方に顔を向ける様なきわめて柔軟な態度であるという事を表現されたいために、「自分自身で望もうと望むまいと仏道を信じずにはいられない」と言われているわけです。

だから仏道の態度というのは必ず二つの要素を含んでいるという事が言えると思います。もう仏道の信仰に凝り固まって、それ以外に教えというものは全くないという風な純粋な態度と同時に、人から呼ばれたらすぐそっちに顔を振り向けるような柔軟な態度でもあるという事がここに説かれている。

質問
昨日、紀野一義さんという方の仏教の論評を読みましたが、「禅者は坐禅をすることばかり主張していて、非常に豪快であるけれども頑固さが感じられる」と言っていますが、私はそうは感じないんですけどね。

先生
うん、私もそうは感じない。

質問
どうしてそういう風にとるのかなあ、と。あの人の書き出しが、「私は禅者ではない」と書いてありましたから「ああ、それは頭で考えたことだな」という事で理解できましたけど。

先生
そう。だからね、坐禅をしているとそうかたくなな人間にはなりませんよ。坐禅の中から生まれてくるのは、非常に柔軟な心であり体であるという事が言えると思います。だから道元禅師が中国から帰られたときに、「中国から何を持ってこられたか」という質問に対して「柔軟心を持ってきた」と言われたのは、まさに坐禅からは否応なしに柔らかな体、柔らかな心が生まれてくるという事でしかないと思います。


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ご訪問ありがとうございます。 「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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