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坐禅と釈尊

              ―大石は水に浮かず-

ある時、釈尊はナ-ランダ-なるパ-ヴァリカンバ林にいた。その時、アシバンダカプッタなる部落の長が釈尊を訪ねて来て、釈尊を拝して質問した。
 
部落の長問う。 
西の方から来たバラモンは、水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火神に仕え、祈祷、合掌の力によって人を救う事が出来るそうですが本当でしょうか? 

釈尊言う
部落の長よ。たとえばここに一人の人があって、深い湖の中に大きな石を投じたとするがよい。その時、大勢の人々が集まり来たって「大石よ浮かんで来い、浮かび上がって陸に上れ」と祈祷し、合掌して、湖の周りを回ったら汝はいかに思うか。その大きな石は大勢の人々の祈祷合掌の力によって陸に上がるであろうか。  

部落の長答える。
いいえ、大きな石が浮かんできて、陸に上がるはずはありません。

釈尊言う
では部落の長よ、さらに汝はこのような場合にはいかに思うであろうか。ここにまた一人の人があって、深き湖の水の中に油の壷を投じたとするがよい。そして壺は割れて油は水の面に浮いたとするがよい。その時、大勢の人々が集まり来て、「油よ沈め、油よ沈め、水の底に下れ」と言って、祈祷し、合掌して、湖の周りを回ったとするならば、その油は人々の合掌祈祷の力によって沈むであろうか。

部落の長答える。
いいえ、油が水の底に沈むはずはありません。

その様に釈尊が教えられた時、部落の長は釈尊に告して言った。
たとえば、倒れたるを起こすがごとく、覆われたるを啓くがごとく、迷えるものに道を示すがごとく、暗闇の中に燈火をもたらすがごとく、釈尊は種々の方便を持って法を説き示された。願わくは、今日より終世変わることなき帰依の信者として私を許し受
けられんことを。                     
                   南伝 相応部経典、42,6 西地人より

※私の独り言
私が釈尊の教えを勉強してみようと思ったのは、「大石は浮かず」と言う説話に出会った時です。
   

読んでいただきありがとうございます。

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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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