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カテゴリ:79・鉢盂のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 鉢盂 8

    天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。この様にただ鉢盂(応量器)が現に具体的に存在するだけという捉え方をすると、鉢盂は鉢盂そのものに縛られているというのが実情である。鉢盂が現に目の前にあってたまたま食事をするときに使われるという場合もあれば、食事が終わったなら洗わなければという対象に代わることもある。うっかり鉢盂を落としてしまうならば鉢盂が落ちたという形で鉢盂の現れ方がまた別の現れ方...

  • 正法眼蔵 鉢盂 7

    天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。釈尊以来代々の祖師方によって受け継がれて来た袈裟並びに鉢盂が、仮にそれが雲や水とかを素材としてつくられたとしても、出来上がった袈裟並びに鉢盂は、独自の袈裟や鉢盂として仏道修行の過程で使われるのである。また仮に草や木を集めてつくられたものであったとしても、材料である草や木から拘束を受けるような袈裟であり鉢盂であるというわけではない。つまり、袈裟は袈...

  • 正法眼蔵 鉢盂 6

    天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。釈尊以来代々の祖師方によって引き継がれてきたお袈裟というものは、あくまでも釈尊以来代々の祖師方によって引き継がれてきたお袈裟であって、それが絹で出来ているとか、植物繊維で出来ているとかという見方は持つべきでなく、その様な見方は仏道以前の見方である。お袈裟の場合と同じように、釈尊以来代々の祖師方によって受け継がれてきた鉢盂(応量器)も、釈尊以来の伝統...

  • 正法眼蔵 鉢盂 5

    天童如浄禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。ここで承知しておかなければならない事は、奇跡にも類するような素晴らしい出来事というような事態を取り上げて実行する場合には、その実行する人も奇跡のように素晴らしい人でなければならない。奇跡にも類する様な素晴らしい出来事という事態を取り上げて実行する場合には、その実行する人も奇跡のように素晴らしい人でなければならない。そして奇跡の様な素晴らしい出来事を...

  • 正法眼蔵 鉢盂 4

    自分(道元)の亡くなった師匠である天童如浄禅師が大宋国の宝慶元年(1225年)天童山の住職となられた日に、法堂における正式の説法の際に言われた。自分が過去に読んだ百丈禅師に関する記憶をたどってみるに、かつてある僧が百丈禅師に質問した「奇跡と呼ばれるような素晴らしい出来事とはいったいどんなことでしょうか」この質問に対して百丈禅師は「たった一人で、この百丈山で坐禅をしている事くらい素晴らしい事柄はない」と答え...

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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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