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カテゴリ:72・如来全身のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 如来全身 7

    智積菩薩が言われた。 (法華経「提婆達多品」より引用)自分が釈尊の仏道修行を拝見した限りでは、釈尊は無限の長さの時間の中で難行苦行をされ、功徳を積み重ね、仏道修行者としての実践を求めていく状態がいまだ中断されたことがなく、この宇宙の一切を観察してみるに、ほんの芥子粒ほどの広さ大きさの場所であろうとも、仏道修行者が体や生命を失ったところでないという場所は存在しない。  なぜそのような場所が存在しないか...

  • 正法眼蔵 如来全身 6

    釈尊が説法を聞いているたくさんの人々に説示した。(法華経「如来寿量品」より引用)自分はかつて菩薩道(真実を求めて仏道修行者としての実践)を行った。その仏道修行の結果得られた生命というものは永遠のものであって、今日においてもまだそれが消滅したという事にはなっていない。今日それが消滅いていないというだけではなく、その生命の長さというものは永遠のものであるから、どの様な長い年月の数字を述べてみても、さらに何...

  • 正法眼蔵 如来全身 5

    法華経「法師品」の言葉について道元禅師の注釈は続きます。現に我々の目の前に展開されている様々な事実というものがのありのままの姿を現しているという状態が正に仏教経典と呼ばれるものである。我々人間が住んでいる世界、神々が住んでいる天上の世界、海の中、この空間、我々の住んでいるこの娑婆世界、娑婆世界以外の世界という一切のものが、現実の真実の姿を示しているのであり、それが仏教経典であり、釈尊の残された遺骨...

  • 正法眼蔵 如来全身 4

    法華経「法師品」の言葉について道元禅師の注釈は続きます。以上に説いたところからさらに考えていくならば、仏教経典は釈尊の体全体と同じものだという事が出来る。また仏教経典はこの我々の住んでいる現実の世界そのものをも意味するのであるから、我々の住んでいるこの現実世界は釈尊の体全体という事が出来る。仏教経典を礼拝する事あるいは、我々の住んでいるこの宇宙を礼拝するという事は、釈尊を礼拝し奉ることと同じである...

  • 正法眼蔵 如来全身 3

    法華経「法師品」の言葉について道元禅師の注釈は続きます。人間社会において、優れた花、優れたの香、優れたお袈裟、優れた衣服という様々のものが存在するけれども、これらも宇宙の中における真実の姿であり、仏教経典であり、釈尊の体全体であると捉えることが出来る。この様な形で様々のものに対して供養を捧げる、敬虔な気持ちで敬うという動作そのものも、まさにこの我々が住んでいる宇宙の実際の姿である。そして、「塔の中...

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ご訪問ありがとうございます。 「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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