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カテゴリ:11・有時のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 有時 23

    従来たくさんの先輩方が時間について前述のように色々言っているけれども、自分自身(道元禅師)として、さらに何か言わないでそのままにしておく事ができようか。自分の言葉として言うならば、「意欲や言葉が半ば充実しているのも現実の時間においてであり、意欲や言葉が半ば充実していないのも、やはり現実の時間においてである」と。この様に参究してみるべきであるまた別の言葉でいえば、人が眉毛を上げたり瞬いたりする動作も中...

  • 正法眼蔵 有時 22

    帰省禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。これは自分を中心にして問題を主体的に考えるならば、自分が人に出会うと言えるだけの事であって、それは客観的に見れば人間が人間に出会うという事でもある。さらにその事を具体的な場面に即して考えるならば、自分自身が自分に出会う事である。このような様々な捉え方があるが、いずれも時間がないならば現実にそういうものが現在の状態で現れると言う事はない。この様な様々の...

  • 正法眼蔵 有時 21

    帰省禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。意欲とは独自の存在としてあるに他ならない。言葉も独自の存在としてあり、他人によってつくられるとか生まれてくるというものではない。障害も独自の存在であって何ものかによってつくられるというものではない。障害は障害そのものとして現実に姿を現しているのである。様々のものが独自の存在であるけれども共通して言える事は時間において行われている。障害とは他の存在にと...

  • 正法眼蔵 有時 19

    薬山惟厳禅師と馬祖道一禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。善いとか悪いとかと言っても、それがすべて人生における時間として行われているに過ぎない。山が客観的にあっていつまでも動かないものではなくて、現在の自分の人生における場面としてあればこそ山もある。山も時間においてある。海も時間においてある。時間においてでなければ、山も海も存在するはずがない。一人ひとりが人間として生きていればこそ海もあり...

  • 正法眼蔵 有時 18

    薬山惟厳禅師がある時、石頭希還禅師の指示で馬祖道一禅師に参じて質問した。薬山惟厳禅師問う私は様々の形における仏道修行や経典の説いている教えの概略と言うものはわかりましたが、達磨大師がインドからはるばる中国に来られた趣旨とは一体どういうものでありましょうか。馬祖道一禅師答えて言うある時は何らかの動作をする。あるときは何の動作もしない。ある時は何らかの動作をすることが良いという評価を受けるし、ある時は...

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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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