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カテゴリ:11・有時のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 有時 12

    薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)で時間を表す事がある。午とか未とかと言う時刻を実在させるところのものも、法(宇宙秩序)の中に厳然と座を占めた恁麼((言い難き何物か)の昇降であり上下である。未の刻になったり午の刻になったりという事が繰り返し繰り返し行われていくに過ぎない。子の刻も時間、寅の刻も時間、人々も生き物も時間においてあるの...

  • 正法眼蔵 有時 11

    薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。泥にまみれ水に浸かり苦心惨憺して人生を生き抜いていく事もやはり同じように時間においてである。いま凡夫は仏教的な時間の見方をしないでそれぞれ常識的な時間の見方をしているが、直接・間接の原因もそれぞれ自分の考え方を持って、こうだああだと理解しているけれども、実態そのものはそういう考え方と同じではない。基本的な実在(法)というものがあって、そういう法の...

  • 正法眼蔵 有時 10

    薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。時間には経歴(過ぎ去る)という性質がある。ただその過ぎ去り方とは、昨日から明日にという普通の常識的な経歴の仕方もあると同時に、今日から昨日に時間が移るということもある。自由自在に過去から未来に未来から過去にという往復の時間の相互関係がある。時間がそのままつまらない理屈を超越して現に今日があり、明日があると言う事である。元来経歴は時間の持つ性質である...

  • 正法眼蔵 有時 9

    薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。憤怒の形相ものすごく怒り狂った時間と言えども、それもやはり自分自身の実際の人生に他ならない。人様の事だと考えがちであるけれども、やはり自分自身の事であり現在の瞬間でしかあり得ない。坐禅をして釈尊と同じような境地できわめて落ち着いた静かな境地もあり得る。そしてどうも自分らしくないと人様の事の様に感じるかもしれないが、やぱりそれも自分自身の実際の人生...

  • 正法眼蔵 有時 8

    薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。山を上ったり河を渡ったりしている時に自分がある。自分とは時間と切り離せないところで生きているという事に他ならない。現に自分が日常生活を生きているのであるから、その日常生活は時間と切り離してはとうてい考えられない。仮に時間が現れたり去ったりしないものと断定するならば、いま現に山を上っている現在の瞬間と言うものが時間の実態である。仮に時間が現れたり去...

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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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