カテゴリ:11・有時のエントリー一覧
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正法眼蔵 有時 17
道元禅師の注釈は続きます。夏もあれば冬もあるが、今は春だから春を舞台にして経歴(瞬間瞬間に移り変わっていく)という事が現実に行われているのである。 春が人間の常識で考える様にいつもそこにあるという事ではなくて、たまたま今が春であるに過ぎないと言う事実を詳細に何回となく勉強してみるべきである。 この経歴という言葉を考えていく場合に客観的な環境の他に、春というものが主体的に別にあるという考え方をし、春と...
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正法眼蔵 有時 16
道元禅師の注釈は続きます。この宇宙は不動不転と言うわけではなく常時変化している。進歩がないわけではない。退歩がないわけではない。 人間の智慧で決めつけて言い尽きるものではない。 無限の内容を具えているものではあるけれども、共通して言える事は経歴(瞬間瞬間に移り変わっていく)ものである。 この経歴は例えば例えば春のようなものに例える事が出来る。 春になると花が咲く、鳥が鳴く、魚が泳ぎだすと言うふうな春の様...
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正法眼蔵 有時 15
薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。神々や天使が出るとか出ないとかだけではなしに、我々の人生はある時には海を渡って航海している、ある時には陸地を旅行して歩くと言う様々の人生があるわけだけれども、自分自身が一所懸命やっていればこそ時間として現れて来るのである、人生として現れてくるのである。世界は目に見える世界もあれば目に見えていない世界もある。いずれの場合にも、その中において時間とい...
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正法眼蔵 有時 14
道元禅師に注釈に入る前に西嶋先生の話です。この前々からやっておる「有時」の巻は「有」と言うのは存在ということ、我々の世界ということ。その現実の世界における時間が「有時」。だから「有時」とは現実の時間ということ、存在に関連した時間と言う意味です。道元禅師がなぜ「有時」という事を言われたかと言うと、我々は時間というものを過去から現在、未来と細い棒のようにず-っと繋がっていると思いがち。常識的にはそうい...
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正法眼蔵 有時 13
薬山惟儼禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。うかうかと時間を過ごしてしまうその前後というものも、すべて現実の時間の実際のあり方に他ならない。またこの世の中の当然あるべき姿に安住して、自分の実人生をしっかりと活き活きと生きていく境地にあるということも時間においてである。人生は抽象的に存在しないと生半可に考える事も出来ないし絶対の実在だと決めつける事も出来ない。一般に時間はただただ過ぎ去るばか...