FC2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

カテゴリ:65・家常のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 家常 14

    趙州従諗禅師と僧侶の問答について道元禅師が注釈されます。この辺とは具体的な場所である。具体的な場所というものは、頭の中で考えられた抽象的な場所を意味するのでもなければ、「生命」という言葉で表現される物理的な場所を意味するものでもない。まして「趙州」というような地名でもない。この具体的な場所という言葉や観念を乗り越えた立場で、趙州禅師と僧侶とが極めて具体的な場所で日常会話をしているのであるから、ある...

  • 正法眼蔵 家常 13

    趙州従諗禅師と新しく寺院にやって来た僧侶との問答です。趙州禅師言う。以前この辺に来たことがあるか。僧侶言う。来たことがあります。趙州禅師言うまあ、お茶でもお上がり。また別の日に趙州禅師が僧侶に言う。以前この辺に来たことがあるか。僧侶言う。以前には来たことがありません。趙州禅師言う。まあ、お茶でもお上がり。そこで監院和尚が質問して言う。どういう理由から、以前にこの辺に来たことがある者に対しても「まあ...

  • 正法眼蔵 家常 12

    円智大安禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。円智大安禅師が言われた説法を明確に理解してそれを保持すべきである。仏道の真実を得た方の教団で一所懸命坐禅をし、仏道修行をすることが三十余年にわたったけれども、その中心となるところは食事をする事であった。その様な形でごく普通の生活に真剣に取り組むという以外に、あれこれと心を費やして様々の問題を考えて気をもむという事は全くないのである。仏道修行に関連し...

  • 正法眼蔵 家常 11

    福建省の長慶院におられた円智大安禅師が、法堂における正式の説法の際たくさんの人々に説示して言われた。自分はこの潙山の寺院で仏道修行をすることが三十年に及び、潙山の食事をいただき、潙山の手洗いに行き、潙山禅師から禅とはどういうものかという理屈を学んだ覚えはない。ただ一頭の去勢された水牛というべき自分自身を見守り、管理することだけに注意を払ってきた。もしその水牛が道からそれて草むらの中に入ってしまえば...

  • 正法眼蔵 家常 10

    天童如浄禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。仏道とは直接の具体的な教えである。我々は常に重荷を背負っていると思い込んでいるけれども、大急ぎでその重荷から解放され日常生活そのものに触れるべきである。黄金色に輝く釈尊の素晴らしい姿というものは、別の言葉でいうならば着物を着たり食事をしたりの日常動作のことであり、着物を着たり食事をしたりのごくありふれた日常動作こそは釈尊のもっておられた素晴らしい姿...

フリーエリア

ご訪問ありがとうございます。 「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

最近の記事

リンク

最近のコメント

カテゴリ

アクセスカウンタ-