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カテゴリ:64・眼睛のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 眼睛 16

    今は亡き自分(道元)の師匠、天童如浄禅師が杭州市の浄慈寺において正式の説法をされた際に言われた。今朝は二月初旬の第一日である。自分の持っている払子がありのままに見えて、払子が眼を持っているとするならばその眼玉が飛び出しているような実感を受ける。払子を含めて一切の事物がはっきり見えるという点では、それらが鏡に映っているという捉え方もできるし、さっぱり解らないという捉え方をするならば、一切のものが真っ黒...

  • 正法眼蔵 眼睛 15

    今は亡き自分(道元)の師匠、天童如浄禅師が法堂における正式の説法で言われた。太陽が南に移って日差しが長くなり情景が輝かしい光を放ち、生き生きとした境地の中で呼吸するという事態がわれわれの今日の情景である。童如浄禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。季節としては冬至から正月にかけてこの説法が行われたと思われる。季節の変化とは、一日一日少しずつ変化して現に長々と続いていると捉えることが出来るが、きわ...

  • 正法眼蔵 眼睛 14

    今は亡き自分(道元)の師匠、天童如浄禅師が法堂における正式の説法で言われた。いつまでも続く長雨、からっとした快晴の大空、ガマの鳴き声、ミミズの鳴き声、それらの事態が宇宙の実景であり永遠の様相を示している。古仏(過去において仏道修行をし真実を得られた方々)はこの世を去られたけれども、それらの古仏は現に眼の前に生きているような気がする。そしてどんなに時代が変わろうとも変わることのない正しいものの見方をいま...

  • 正法眼蔵 眼睛 13

    自分(道元)の師匠である天童如浄禅師が法堂における正式の説法で言われた。釈尊が様々のこだわった眼睛(ものの見方)を振り捨てた時点というのは、いま目の前に雪が降り積もって、その中に梅の小枝が一つ、二つと花をつけ始めた情景と同じである。そのことは具体的な事実そのものであり、それを素直に受け取るという捉え方が釈尊が得られた真実の内容そのものである。梅の花が一つの枝に咲き始めたという事は、梅の花が咲き始めたと...

  • 正法眼蔵 眼睛 12

    自分(道元)の亡くなった師匠である天童如浄禅師が法堂における正式の説法の際、釈尊が真実を得られた時の情景を賛美して言われた。釈尊は野狐の化け物のような状態で、様々の試みをし様々な思い違いをされながら、真実を求めて六年間修行をされた。その六年の修行の結果、ある日忽然として真実とは何かという事を掴まれた。その真実とは葛藤に他ならない。現実の世界がいかに複雑な解き解し難いものであるか、そういう解き解し難い...

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ご訪問ありがとうございます。 「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をしています。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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