カテゴリ:61・十方のエントリー一覧
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正法眼蔵 十方 16
越州乾峰禅師に僧侶が質問した。仏教の教えでは、あらゆる方角というものがすべて真実そのものであり仏世尊と同じ性格のものであり、一切の状況というものが、涅槃(非常に静かで落ちついた境地)と同じものだと言われている。ところが我々は、仏道修行の過程の中では決してその様な境地にはいない。我々が一所懸命仏道修行をやっている場所とは、いったいどういう場所なのでしょうか。そこで越州乾峰禅師は自分の持っていた杖で地面...
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正法眼蔵 十方 15
玄沙師備禅師が言われた。 宇宙というものは、まさに一粒の輝かしい真珠である。玄沙師備禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。この玄沙師備禅師の言葉からはっきり知れるとおり、一粒の輝かしい真珠というものがあらゆる方角に広がっている全宇宙と一つのものだという事が言える。我々の日常生活を振り返ってみるならば、非常に高尚になって神様のような状態で自己満足している場面もあれば、大変お粗末な状況になってしま...
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正法眼蔵 十方 14
長沙景岑禅師が言われた。宇宙においては、自分自身でない人は一人もいない。長沙景岑禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。仏道修行において優れた境地に達した人々、あるいはそれほど高い境地に達しないまでも一人一人が仏道修行をして生きていく状況の中では、それぞれが自分自身の本分に従って一所懸命生きているのであって、この宇宙の中においてどの人をとってみても自分自身でない人は一人もいない。この世の中におい...
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正法眼蔵 十方 13
長沙景岑禅師が言われた。宇宙というものは、自分自身が持っている光の中に厳然として存在するところのものである。長沙景岑禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。もっと具体的に言うならば、瞼を閉じたときに見える心の働きというものを自分自身が持っている光と呼ぶこともできる。眼を閉じたときには頭の中で考えた自分自身が持っている光というものがあるけれども、突然眼を見開くならば、そこに現れている宇宙というもの...
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正法眼蔵 十方 12
長沙景岑禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。自分自身を基準にしてこの具体的な人間がどう動くかという事に関連して、忠実に自分自身に従いながら行動することが仏道修行者の究極のあり方である。つまり、主観的に色々と考えて、先走りして動くということではなくて、しかも自分自身の本分に忠実に動く事が仏道修行者の当然のあり方である。我々の日常生活において人間とそれを取り巻いている周囲の物との関係も、相互関...