カテゴリ:7・洗浄のエントリー一覧
-
正法眼蔵 洗浄 3
「洗浄」の巻、本文に入ります。仏教界において真実を体得された諸先輩が守ってこられたところの修行であり体験であるところのものがある。それは不染汙の一語に尽きる。仏教界の先輩である中国における六代目の大鑑慧能禅師と後継者の南嶽懐譲禅師が「仏道の中心は不染汙」であると言っておられる問答がある。大鑑慧能禅師が弟子の南嶽懐譲禅師に問う修証(修行と体験)とかと言うもののご厄介になることがあるかどうか。弟子の南嶽...
-
正法眼蔵 洗浄 2
「洗浄」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話は続きます。だから今日でも「禊」と言う言葉がある。水でそそぐ、水で体を洗うということ。今日でも滝に打たれたり、川に飛び込んで体を洗ったりすることを「禊」と言うけれども、神代にはそういう水で体を洗うという習慣しかなかった。お湯を沸かして体を洗うようになったのは仏教と一緒に大陸の文明が入ってきてから初めてそういう習慣を勉強するようになった。だから奈良朝時代、ある...
-
正法眼蔵 洗浄 1
「洗浄」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。「洗浄」の巻は、主としてどういうことが書いてあるかと言うと、手や足の爪を切れということも書いてあると同時に手洗いに行っての作法が書いてある。普通、宗教と言うと非常に高貴なもので日常生活(ご飯を食べたり、手洗いに行ったり)ということは宗教と無関係と言う考え方が多い。ただ仏道と言うのは人間が何をするかということを中心にした思想であるから、ご飯を食べる事も大事...