fc2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

カテゴリ:17・古鏡のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 古鏡 65

    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。。瓦であれ、鏡であれ、一所懸命磨いている時の状態は他の時とは様子が違う。坐禅をやっている時には傍から想像していた状況と全く状況が違う。しかしながら、ここで南嶽禅師が言っている事は真実を得られた南嶽禅師の事であるから、まさに真実そのものの言葉であろうし、結局のところは瓦を磨いて鏡を作るという事に他ならないのであろう。したがって今日の人...

  • 正法眼蔵 古鏡 64

    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。南嶽禅師は瓦を持ち出してきて、瓦を鏡にすると言う事で馬祖禅師を教えられた。馬祖禅師も自分自身の生身の体で坐禅をやる事を通して仏になっているのであるから、それは瓦を磨いて鏡を作ることでもある。昔からたくさんの祖師方がおられるけれども、その祖師方の骨に髄にそうした教えがしみ込んで今日に至ったのである。我々の体はそれぞれ生身の体であるけ...

  • 正法眼蔵 古鏡 63

    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師が注釈されます。この南嶽禅師と馬祖禅師との間に語られた重大な問題に関しては、この問答が行われてから数百年の間、多くの人に南嶽禅師はただただ馬祖禅師に対して坐禅を励めと言われたと解されている。しかしながらこの解釈は必ずしも当たってはいない。真実を極めた方々の行いというものは、凡人の考える境地をはるかに抜け出ている境地である。真実を極めた南嶽禅師と言え...

  • 正法眼蔵 古鏡 62

    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師の問答に入ります。馬祖道一禅師はかつて南嶽懐譲禅師のところで仏道を学んでいた。南嶽懐譲禅師は釈尊と同じ心の姿を馬祖道一禅師に一対一で授けた。それが後に馬祖道一禅師と南嶽懐譲禅師との間で交わされた、瓦を磨くと言う問答の最初の出発点である。その頃、馬祖道一禅師は伝法院と言う庵に住んで、坐禅をする事があまり長い期間ではないがそれでも十余年間に及んだ。その間の雨の日や夜間の草庵の...

  • 正法眼蔵 古鏡 61

    国泰院弘瑫禅師と僧との問答について道元禅師の注釈は続きます。人間が仏道修行をするという事は、その様ないつに変わらぬ価値のある鏡というものを一所懸命に磨くことである。鏡がガラスで出来ているとか、水銀が塗られているとか様々な分析的な考え方を入れてそれを磨くという事ではなくて、価値のある鏡としてそれを磨くのである。人間が努力するという事は、自分自身を磨くとか自分自身が磨くとかと言う事ではなく、ただ...

フリーエリア

「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

最近の記事

最近のコメント

カテゴリ

FC2カウンタ-