カテゴリ:15・心不可得・前のエントリー一覧
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正法眼蔵 心不可得・前 5
道元禅師の注釈は続きます。数百巻の書籍の解釈をするところの最高権威者とも言われ、また数十年にわたって「金剛経」を講じてきた僧侶が身なりの粗末な老婆の質問を受けて、その質問に返事ができなかった事は非常に残念な事ではなかろうか。正しい師匠に出会って、正しい師匠から教えを引き継いで、正しい釈尊の教えを聞いた事のある人と、まだ正しい教えを聞かず、まだ正しい師匠と出合った事のない人とでは、その内容が非常に異...
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正法眼蔵 心不可得・前 4
道元禅師の注釈は続きます。徳山禅師はある時、釈尊以来代々の祖師方によって受け継がれてきたところの最高の教えがあると聞き、「金剛経」について自分以上の注釈をした人がいるはずがないと腹を立てた。 怒りを抑える事が出来ず経典や注釈書をたずさえて山川をわたって旅して行った。 そしてたまたま竜澤と言う場所における崇信禅師の仏教教団の事を知り、その教団に行って勉強しようと思いそこに向かった。 その旅の途中で疲れ...
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正法眼蔵 心不可得・前 3
道元禅師の注釈注釈は続きます。経師(経典を読んでその意味を理解しようとしている人) 論師(仏教哲学を理論の上だけで論じている人) 声聞(理屈だけで仏教を理解しようとする人) 縁覚(自然の環境の中で仏教を理解しようとする人) これらの人々は、まだ夢にさえ見た事のない様な状況にあるのである。その様な事態の実例は身近にある。その実例とは何かというと、臨済系の有名な師匠である徳山宣鑒禅師がかつて「金剛般若経」をす...
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正法眼蔵 心不可得・前 2
心不可得の巻、本文に入ります。釈尊が言われた。過去心不可得・現在心不可得・未来心不可得 (金剛般若経より引用)釈尊が言われた言葉にについて道元禅注釈注釈されます。過去であろうと、現在であろうと、未来であろうと、心と言うものは捉まえる事が出来ないと言う事が、釈尊以来代々の祖師方が勉強された結論である。その方々がどういう生き方をして来たかというと、心というものは捉まえる事が出来ないとはっきり納得し、自分...
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正法眼蔵 心不可得・前 1
「心不可得」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。「心不可得」と言うのは、心というものは掴むことが出来ないという事であって、我々は心は掴む事が出来ると思っている 。だから、自分の心とか人の心とかと言うし、頭の中で反省すれば自分の心が何かあるように感じている。ところが仏教哲学では昔から心は捉えられないというのが原則であって、例えばそういう点では面白い話として達磨大師と弟子の太祖慧可大師の話が伝わって...