カテゴリ:8・礼拝得髄のエントリー一覧
-
正法眼蔵 礼拝得髄 26
道元禅師の説示は続きます。真実を得られた方々がつくられた結界の土地に一度でも足を踏み入れた者は、どの様な人でも釈尊の与える恵みを受け取るのである。それは戒律を犯すことのできない恵みであり浄い状態を得るところの恵みである。その様にしてつくられた結界と言うのは、ほんの一部の地域を結界として定めたとしてもすぐさま宇宙全体がすべて結界になるのである。また一部の重要なところを結界として定めることにより宇宙全...
-
正法眼蔵 礼拝得髄 25
道元禅師の説示は続きます。結界というものをつくって尼僧や女性を入れないという人々が、十悪(十の基本的にやってはならないこと)を平気でやって、少も憚るところがないし、十重禁戒(人を殺す、嘘をつく等十種類の行いを禁止した重い戒律)をどれ一つとして犯さないものがないほど犯している。ただ自分たちが罪を犯すところの世界をつくって、まだ罪を犯していない人々が入ってくることを嫌がって邪魔をしているのであろうか。まし...
-
正法眼蔵 礼拝得髄 24
道元禅師の説示は続きます。また釈尊の弟子の位と言うものは菩薩の場合であれ、声聞の場合であれ区別なく、第一が僧侶、第二が尼僧、第三が在家の男子、第四が在家の女子と決まっている。これは長い期間にわたって伝承されてきた。釈尊の弟子の第二の位にある尼僧は古代インドにおける転輪聖王よりも優れているし、古代インドにおいて信じられていた帝釈天よりも勝っている。この尼僧の入ってはならない場所のあるはずがない。まし...
-
正法眼蔵 礼拝得髄 23
道元禅師の説示は続きます。大乗でも小乗でも阿羅漢の地位は最高の地位でありその内容に違いはない。尼僧の中にはこれらの阿羅漢の境涯を実際に自分のものにした人が多い。これらの尼僧は全宇宙のどこにでも行き得るのである。誰がその行為を止める事が出来よう。女性でありながらすでに仏になった人もいる。だれが真実を究めたこの女性をじゃまして「この場所には入ってはいけない、あの場所には入ってはいけない」と言う事が言い...
-
正法眼蔵 礼拝得髄 22
道元禅師の説示は続きます。釈尊が生きておられた時代の釈尊の教団においてはいずれも僧侶、尼僧、在家の男子、在家の女子と言う人々がいた。そのほか釈尊の説法を聴くために集まった無数の人々がいた。これらの沢山の種類の人々がいずれも釈尊の教団の一部であったという事は紛れもない事実である。釈尊が結成された教団で尼僧のいなかった教団があろうか。我々は釈尊の生きておられた時代の仏教教団の様にあるべきで結界などと言...