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カテゴリ:16・心不可得・後のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 心不可得・後 31

    「心不可得」について道元禅師が注釈されます。ある時大証国師に僧問う「過去の真実を体得された先輩方がもっておられた心というのは、一体どういうものでしょうか」と。大証国師言う「垣根であり、壁であり、瓦であり、小石である」と。この問答も「心というものは捉える事が出来ないもの」と言う事を問答の形で説かれたに他ならない。またある時、別の僧が大証国師に問う「真実を得られた先輩方の普段の気持ちというのは一体どん...

  • 正法眼蔵 心不可得・後 30

    五人の僧侶に対して道元禅師の検討は続きます。仮に大証国師のおられる場所が先の二度は大耳三蔵にわかって、三回目だけがわからなかったのであるならば、大耳三蔵は三回のうち二回まではわかる能力があったのであるから叱るべきではない。そして仮に叱ったとしても全部が全部欠けていたという事ではない。仮に三回のうちのニ回だけが正しかったというのであるならば、これを叱った場合大証国師が正しいと言う事を誰も信ずるはずが...

  • 正法眼蔵 心不可得・後 29

    五人の僧侶に対して道元禅師の検討は続きます。先に述べられた長年の修行を積まれた五人の方々は、そろいもそろって五人とも大証国師の持っておられた性質、実体というものがはっきりわかっていない。釈尊の教えを勉強する上でまだ力が足りないように思われる。はっきり知っておかなければならない事は、大証国師はあらゆる時代を通じて真実を体得した人として通用する方である。釈尊が説かれた正法眼蔵(正しい宇宙秩序の眼目)に...

  • 正法眼蔵 心不可得・後 28

    五人の僧侶に対して道元禅師の検討は続きます。この玄沙師備禅師の言葉を聞いて雪竇明覚禅師は「敗けた、敗けた」といった。つまり玄沙禅師の言葉の境地が非常に高いから「自分はとてもかないません」と言う事を言った。この「敗けた、敗けた」という言葉は、玄沙師備禅師の言葉が真実であるという見方をした時にこのように言うべきである。もし雪竇明覚禅師がもう少し力量があって玄沙師備禅師の言葉がどうも本当ではないというが...

  • 正法眼蔵 心不可得・後 27

    五人の僧侶に対して道元禅師の検討は続きます。仰山慧寂禅師は「大証国師は前の二回は外界の世界に意識を移していたが、その後は自分自身と一体となる境涯に入ったので、三耳三蔵は大証国師を見ることが出来なかった」と言っている。仰山慧寂禅師については小釈尊と呼ばれるほど仏道の理解においては優れているという評判がインドにまで高く響いていると言われているけれども、質問の仕方についてはこのような間違いがないとは言え...

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「正法眼蔵」は仏道を勉強する上において「なぜ坐禅をやらなければならないか」という事を事細かに疑問の余地のない形で詳細を述べておられる。だから「正法眼蔵」を読んで仏道の理論的な側面を勉強しながら自分自身で坐禅をやるならば、仏道修行においては欠けているところはない。―愚道和夫老師―

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
70代女性。自営業。自宅で毎日朝晩坐禅をして、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を毎日ブログで紹介しています。愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」    

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